ひさしぶりの投稿です。
最後の投稿が2018年の年末...。
もうブログを更新することはないだろうなぁって思っていました。
あれから色々なことがあって。何だかやっと心が落ち着いて来た感じです。
信吾さんが亡くなって。今でも思い出さない日はないかな。
あんなに才能のある人が。あんなに短い一生でいいのかとか。
世の中ってなんて理不尽なんだろうって思ったりとか。
いまの私だったら。おやりになりたかったFilmの仕事をきっと遮二無二に動いてコーディネイトして。もっともっとサポートできたのに。
なんでどうでもいいシガラミや個人的な過去からの感情に拘束されて、やりたかったことをやらなかったんだろう。後悔ばかりです。
だからこれからは。これからの20年は(20年残されているかどうかはわからないけどw)
やりたいことをやりたいって。会いたい人には会いたいって言う。行きたいところには絶対行って。欲しいって思うものがあれば、それを絶対手に入れる。
思い残すことのないように。後悔のないように生きていきたいって思っています。
去年は息子が鬱になって。
そうそう。ちょうど今頃は。リストカットまでされて悩みに悩んだ時期でした。
3月頃に私と息子が37度はいかないけれど長く微熱が続き、経験したことのないものすごい倦怠感でベッドから起き上がれない状態が1週間以上続いて。
平熱になり食事がキチンと摂れるようになるまで約1ヶ月を要しました。
今から思うとここでコロナに感染していたんだろうと。でも当時は37.5以上の熱じゃないと病院にも行けなかったから。そして。こんな大ごとになるなんて思いもよらなかったから。
ちょうど学校もクローズの時期、良くなったらまた国立受験に向けてガンガンやれるだろうと本人も私も信じて疑いませんでした。
集中できない。覚えられない。文字を見ていると気持ちが悪くなる。
そんな状態を一人で抱えて。こんなことじゃ受験に間に合わない、まだまだ志望校まで偏差値が届いていないのにどうしよう...って。ひとりで悩みに悩んだんだろうな。
後日、リストカットしてるとその時だけ正気に戻れるんだって本人から訊いて、のけ反るほどびっくりしました。今にして思えば巷で取り沙汰されているコロナの後遺症ですよね。
息子から心療内科に行きたいと言われた時は、まだそれほどとは思っていなかったのですが。
みるみる内に状態が悪くなり、授業も受けれなくなって学校にも行けなくなり。
あの息子が。あのガリガリ希望に満ちて半ば楽しんで勉強に打ち込んでいた息子が。
最後の模試。滑り止めの私立はS判定、特Aクラスの私立にもB判定が取れていて、英語と国語は校内で1位。3年生からは模試に得意の歴史が入ってくるので更に飛躍するってみんな信じて疑わなかったのに。これなら、もしかしたら希望していた国立にも何とか手が届くかもって。
本人は元より、まず親の私がこの現状を受け止められなかった。
新宿のクリニック、日本橋のクリニック、高田馬場のクリニック。鬱専門の心理カウンセラー。
そして学校のカウンセリングの先生にも診て頂いて治療方法を探る日々。
TMS(脳に直接磁気治療を施す治療法)の予約までしましたが、本人の「やっぱり行きたくない」の一言で直前にキャンセルしたり。それがちょうど盛夏の頃だったかな。
空気がようやく澄んできた頃。焦る気持ちがだんだんと影を潜め...次第に諦めがついてきて。
心がやっと鎮まって「長い人生なんだもの。いくらでもやり直せる。そんなに現役合格にこだわる必要はないんじゃないか?」って思えるようになりました。
息子も、そして私も。やっとのことでこだわる想いを手放し(すごく時間がかかりましたが)冬の気配が如実に感じられるようになった頃には、折々に笑顔を見せるまでになり。
相変わらず気持ちが悪くなるようで本格的な勉強はできませんでしたが、気分のいい時には英単語帳を開いたりして。
そうこうする内に、そろそろ受験日程を学校に提出しなければならない時期となりました。
国立はもう今年は無理なので度外視することで本人も納得。私は滑り止め用の私立も受けてもらいたかったのですが、本人は「お金の無駄だよ。もし受かっても行かないし。来年用のお試しで早稲田と同志社しか受けない。」と頑なに拒否。
そして。年の瀬も押し迫ってから。もうこれはあまりの不運を笑い飛ばすしかないのですが。
浜崎さんの現場で(代々木カウントダウンライブ。演者関係からコロナ感染者が出て公演は中止。)私も濃厚接触者となり念のためavexクリニックでPCR検査を受けたら陽性。
それが年明けに息子にも伝染ってともに発熱。
共通テストも受けられず、なんと2週間の自宅待機となり...。
私が「ごめんね。大事な時期だったのに。」と言うと「大丈夫。これは誰のせいでもないよ。気にしないでよ。」って。ほんといいヤツだな(涙)
2月からの。一年前までは思いも寄らなかった、まさかのたった2校のみの大学受験。
過去問もやれず。直前の準備も出来ず。
高校の息子のクラスは文系の特進クラスでしたので、普通に頑張った同級生達はみな、国立、慶応、早稲田、上智、ほかGMARCHに進学するはず。本当だったら自分もそうだったのに...という複雑な想いがあったはずなのに。それはおくびにも出しませんでした。
受験日当日も淡々と出かけ、帰って来ても何も言わず。
こちらも「どうだった?」などとはとても怖くて聞けなくて。
私の時代とは違って今はわざわざ学校に赴き掲示板で受験番号を探す、などではなくて、全てサイトにログインして結果を見に行く訳ですが。
こんな調子でしたから、実は発表日のこと私は直前まで忘れていて(笑)
同志社発表当日。10時に情報開示。息子は2階の自分の部屋。私は台所で洗い物をしていました。
手元の時計を見るとちょうど10時。...そりゃダメだよね。降りて来たらさて何て声をかけようか...などと思い悩んでいると。タタタタッと階段を駆け下りてくる足音がして。
「受かった。同志社。」「え?」
「受かった。全学部、個別の両方とも。」「え!」
もちろん過去問もやらずに受けている訳ですから後日発表の特Aクラスの早稲田はダメでしたが。
息子は当初、一浪させて欲しい、もともと第一志望だった国立に行きたいと言ったのですが、こちらは去年のあのものすごい状況を見ていますから、先の見えない受験勉強をもう一年させることがかなり不安で。「来てもいいよって言ってくれたところにまずは行ってみなよ。もし、どうしても違うって思ったら帰ってきてもう一度やり直せばいいじゃない。私は、京都、貴方には合ってると思うよ。」と説得し、最終的には息子も同意して。
そんなわけで。いま息子は京都にいます。写真は息子のマンションそばのお寺の普賢桜。
長くなったけど、これは私の備忘録です。
ギリギリまで本人が悩んだので、振込期日最終日に入学金・授業料などをお振り込み。
そして慌ただしく高校の卒業式。
京都を往復しながら部屋を探し、諸々の手続き、家具などをそろえて引っ越し。
老体に鞭打って(笑)ただただ夢中で過ごしたのでこの春の記憶はほとんどありません。
でも。
私は貴方の母親で本当に良かった。
今まで一緒に居てくれて。ほんとに楽しかった。
たくさんの素晴らしい思い出と。そしてさまざまな経験をありがとう。
これからは独り立ちして自らの道を自分で切り開いて行くんだね。
楽しいことも切ないことも。面白いことも悲しいことも。いろいろなことがあるだろうけど。
龍汰ならきっと大丈夫。
脈絡のないひさしぶりの投稿でしたが、そんなこんなの想い出をつれづれに綴ってみました。