2018年6月22日金曜日

no.1188 hirado this & that

呼子から平戸へ。
途中、コーディネイトしている仕事の連絡をしつつのドライブになりました。
海沿いの道、山越えの道、棚田の道、360度大海原を見渡す橋上の道。
電話でやり取りしている仕事の世界とはまったくかけ離れた景色が広がります。
通話を切った後は普段の私とは別の私がいて。不思議な感じだ。

目指したのは平戸の田平教会。高台から平戸大橋を望むこの教会はカトリックの天主堂。
所在地にちなんで瀬戸山天主堂とも呼ばれています。
快晴の午後の空のもと。この荘厳な中にも可愛らしさの残る建物は国の重要文化財。


教会の内部は撮影禁止のためサイトから堂内のお写真を。
窓のステンドグラスから陽の光が木漏れ日のようにもれて美しい空間を形づくっていました。
堂内は誰もいない。私ひとり。厳かな祈りの場所。
十一面観音。マリア。同じ愛。同じ慈悲。同じ平和への想い。
子供の頃から宗教的な題材に強く惹かれていましたが、ここにきて魂の深いところが磁力に
寄って引き寄せられていくような気がします。


敷地内の事務所にロザリオや聖書、絵葉書などが売られていたのでちょっと寄ってみました。
瀬戸さんという美しい信者の方がおられて教会の歴史、ミサのことなどを伺っていたら。
「今日は平戸にお泊まりですか?」
「いえ。全然なにも考えてなくて。唐津に戻るか佐世保に移動しようかとも思ってたんです。」
とお答えすると。素敵なゲストハウスが「根獅子/ねしこ」という所にあるとのこと。
すぐその場でオーナーの方にお電話してくださり、あれよあれよという間にそちらに宿泊す
ることになりました。こういう偶然は。必然なんだよなぁ。
田平天主堂。高台から美しい海を見渡す墓地。ゆっくりと陽が陰って来ました。


暗くならない内にと根獅子へ車を走らせました。
都会暮らしに慣れていると真の闇の深さが想像できないでしょう?深い深い闇。怖いよね。
帯広の森で幼かった息子と道に迷ったときは本当に怖かった。車のライトのほかは漆黒の闇。
でもある意味「闇」がない世界では「物語」も生まれないのかもしれない。

近くの郵便局で電話をすると、オーナーの川上さんが車で迎えにいらして下さいました。
長く市議会議員を務めていらしたとのこと。会話の端々。行政的な見方をされるのは流石。
ゲストハウスに行きがてら、青のグラデーションが素晴らしく美しい根獅子湾に案内して頂
きました。この根獅子という村落は昔は全員が隠れ切支丹だったのだとか。

「あそこの砂浜。あそこで何人かが首を切られたんですよ。」

白い砂浜。砂に吸われていく赤い血。静かな波の音。いつも通りの鶯の声。遅い春。
川上さんの言葉で一気に映像が頭の中をよぎります。見たことが。あるのかな。前世で。

「あの山間の場所には高句麗の姫が囲われていたのだそうですよ。本妻が恐いので殿様は舟
で夜に入江に忍んで来たそうです。いつの世も怖いのは本妻ですね〜 笑」

煌煌と月の輝く海辺。響くのは櫂の音だけ。静かに入り江にこぎ寄せる舟。そんな風に女性
に逢いに来るなんて。かなりロマンティック。
背景は月の光でくっきりと境界線が描かれた、まるで影絵のような低い山の背。
こんな映像も瞬時に頭をよぎります。見たことが。あるのかな。ここで。

ゲストハウス根獅子庵は高台の絶景の場所にありました。周りは桜の木。春は桃源郷ですね!
徐々に暮れていく根獅子の夕方をお縁側で堪能しました。少しずつ碧が深まっていきます。


ずっと傍の木に鶯がいて。美しい声を私だけに聴かせてくれました。
坂を下ったところに川上さんのご自宅があり。丘の上の離れに私ひとりの夜です。


川上さんご夫妻には本当に良くして頂いて。次回は根獅子の歴史をぜひゆっくり伺いたいな。
「平戸の親戚のうちだと思って、いつでも気軽に遊びいらっしゃい。今度は息子さんとね!」
次は春に来てみたい。満開の桜。小泉八雲の世界だね。
晴耕雨読。私の残りの人生、こんなところで過ごせたら。なんて。想像してみた。

帰郷後。川上さんご夫妻が栽培されている枇杷を送ってきて下さいました!


枇杷の種類。それぞれの名前が素敵なの。夏たより。涼風。陽玉。


大粒でみずみずしくて。食後に頂く冷やした枇杷は最高でした!郡上八幡で手に入れた器と。
ふとしたことから。ふとした出会いがあって。それが私だけでなく家族にもつながって。
臆することなくきっかけをつかんでいくこと。
人生ってどう変わっていくかわからない。数年後。根獅子に住んでるかもしれないじゃない?


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