鞍馬寺を後にして、宇治の平等院へと向かいました。
この二カ所はかなり離れているので、普通こんなムリな予定は立てないのですが、どうして
もこの二カ所は廻りたいという息子の希望があり。
朝、息子を起こした時に「あの。今日はその二カ所を廻ってもらってもいいですか?」なん
て言われたらねぇ。イヤとは言えないじゃん。
その代わり鞍馬寺から貴船神社へと向かう、ほんまもんの鞍馬山天狗ルート(私が名付けた
の。この山歩きルートは、いかにも天狗さんが出て来そうな深い山の道を通るから。)は、
次回に回させて頂きました。
そんなわけで宇治。平等院鳳凰堂。
昔、ひとりで初夏の宇治を訪れた時は、参道に人っ子一人いなくてシンと静まり返った神さ
びた所だったんだけど。
いま参道には観光客があふれ、古いお茶屋さんは立て替えられたり閉まっていたりで風情も
何もなくなってしまっていました。
その時宇治に連れて行ってくれたタクシーの運転手さんお薦めのお茶屋さんで頂いたお煎茶
の甘かったこと。
ふわりふわりと初夏の風がお店の暖簾を動かし、そとの通りには、夏の照り返しで建物の影
が濃く短く出来ていて。
お店の軒には大きな「杉玉」が下がっていたような。あれは夢だったのかな。
平等院を見た息子曰く「なんで派手なオレンジ色なんかに塗り直ししたのかな。もとの色に
したのかもしれないけどさ、古いものの良さがないよね。」
13歳にこんなこと言われちゃって。
でも、私もそう思う。なんで古いままの良さを生かさないんだろうね。法隆寺みたいに。
ご本尊を見るにも、チケットを買って指定された時間を待って本堂に入るシステム。
前はこんなじゃなかったけどねぇ。
そうは言ってもご本尊は相変わらずの美しさ。阿弥陀如来さま。定朝作。
観光客が増えることはその土地を維持していくために大事なこと。
でも…。大切にしたいのは迎合することじゃなくて、いかに文化財を美しく保存し、作られ
た当時の志しをいまに伝えていくことなんじゃないのかなぁ。
それは参道を含む街並みも含めてね。総合的な視点で見ていくことなんだと思う。
朝からフル活動だったので宇治川のほとりにある「通圓/つうえん」という古いお茶屋さん
に甘いものを食べに行きました。
通圓の創業は、なんと1160年に遡ります。すごい…。平治の乱の年...。
そんな通圓で抹茶パフェ。
七代目通圓は一休和尚と親交が深く、亡くなった時は一休から「一服一銭一期の泡」という
書を送られているんだとか。
一休和尚作「初代通圓」の木像。
一休宗純という人は、本当に不思議な一筋縄ではいかない人で、破天荒というか狂気に近い
というか常識なんか全然通じないというか。
だからこそ室町時代の人なのに、すごく現代的で超モダンな感じがするのかも。
この木像もなんだか不思議な出で立ちですねぇ。変わってる。
長い一日が暮れようとする頃、息子を送って京都駅へ。
新幹線でひとり東京まで戻り自宅に帰る息子は少し緊張しているようでしたが、「じゃね!」
と言って片手を上げて列車に乗り込む姿は、もう一人前の男のひとみたいだったな。
母はちょっとさみしいよ(笑)
そうして息子との旅を終え、わたしはひとり奈良へと向かったのでありました。
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