今朝などは、寒いくらいに感じて目覚めました。
もうすっかり秋になり...。この大好きな季節を満喫したいなぁ〜なんて思います。
私は「萩」の花、特に白萩の花が好きです。
世田谷線沿いに住んでいた時、早朝にあの可愛らしい電車を待っていると、線路沿いのおうち
の庭に白萩がみっしりと花をつけて、シンと静かに咲いていました。
きりりと冷えた朝の空気とともに、なんて清々しい!
うちの庭にも植えてもらおうかな〜。
秋の七草は
ハギ・キキョウ・クズ・ナデシコ・オバナ(ススキのこと)・オミナエシ・フジバカマ
学生時代に習った万葉集にあったうたを思い出しました。
「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝顔の花」
たしか山上憶良だったような。
ちょっとうたとは言えないような花の名前の羅列の配置に、秋の映像がぱぁ〜と目の前を
よぎります。
言葉と記憶が織りなす不思議。
そしてこういったうたの深みに気づけるようになるには、歳を重ねることが必要だってこと。
学校で勉強した時なんて「なんだこれ??」だもんね(笑)
歳をとるのもあながち悪いことばかりじゃない...のかな。
2012年10月8日月曜日
2012年10月6日土曜日
no.286 i found your name
20代前半の日々、学校をさぼって赤坂で過ごしていました。
MUGEN や BYBLOSといったディスコの末期、もうカルチャー・ムーブメントとしての役割り
をほとんど終えてしまっていた頃。
夜遊びが本当に面白くて家にも帰らなかった(苦笑)
そしていろんな人が現れては消えていって。
誰かにとっては私も、そんなたくさんの名前を忘れた人たちの中のひとり。
深夜、クラブ・ミュージックのサイトを見ていたら、懐かしい人の名前を見つけました。
DJ AGEISHI。私たちは「アゲ」って呼んでたんだけど、こう書くとなんだか別人みたい。
彼の音楽に対する造形の深さは、まさに音楽文化そのものを生きてるって感じで。
その頃 BYBLOS のDJだったけど、フロア・コントロールのセンスが抜群で楽曲セレクションは
もうほとんどアート、神業に近かった。
大阪に拠点を移してからDJのほかにカフェ・プロデュースもしてるらしく、DJ道の「Legend」
ってコメントに書いてあった。
そしてもうひとり。DJ SONE。
のちに六本木「玉椿」でブレイクした古い古い知り合い。
2011年6月に亡くなったのを、昨日、初めて知りました。
ネパールやチベット仏教の話をしてくれたよね。阿佐ヶ谷でお香を焚きながら。
いまは藤原新也の写真のような浄土の世界で鮮やかな花々を眺めてるの?
ちょっと早すぎるんじゃないの...曽根ちゃん。
...合掌。
MUGEN や BYBLOSといったディスコの末期、もうカルチャー・ムーブメントとしての役割り
をほとんど終えてしまっていた頃。
夜遊びが本当に面白くて家にも帰らなかった(苦笑)
そしていろんな人が現れては消えていって。
誰かにとっては私も、そんなたくさんの名前を忘れた人たちの中のひとり。
深夜、クラブ・ミュージックのサイトを見ていたら、懐かしい人の名前を見つけました。
DJ AGEISHI。私たちは「アゲ」って呼んでたんだけど、こう書くとなんだか別人みたい。
彼の音楽に対する造形の深さは、まさに音楽文化そのものを生きてるって感じで。
その頃 BYBLOS のDJだったけど、フロア・コントロールのセンスが抜群で楽曲セレクションは
もうほとんどアート、神業に近かった。
大阪に拠点を移してからDJのほかにカフェ・プロデュースもしてるらしく、DJ道の「Legend」
ってコメントに書いてあった。
そしてもうひとり。DJ SONE。
のちに六本木「玉椿」でブレイクした古い古い知り合い。
2011年6月に亡くなったのを、昨日、初めて知りました。
ネパールやチベット仏教の話をしてくれたよね。阿佐ヶ谷でお香を焚きながら。
いまは藤原新也の写真のような浄土の世界で鮮やかな花々を眺めてるの?
ちょっと早すぎるんじゃないの...曽根ちゃん。
...合掌。
2012年10月3日水曜日
no.285 sei-ga
わたしの個人会社「ビザー」の顧問税理士の先生の事務所は東中野にありました。
最近、中野に移転されましたが、そんな訳で決算の度に東中野に足を運ぶ機会があり...。
この界隈は、実は私には懐かしい場所なのです。
20代前半から10年近く中野坂上のマンションに住んでいました。
「青蛾/せいが」
高齢の風格のあるオーナーと華奢で上品な奥様がお店をなさっていて、店内は品の良いアン
ティークに囲まれた雰囲気のある珈琲屋さんでした。
珈琲の器は古伊万里。
もうたぶんお二人とも亡くなってお店も閉じられたと聞きましたが、友人の話だとビル一階
に掲げられていた「青蛾」と書かれた灯(あかり)はそのままなんだとか。
ネットを見ていたら、その「青蛾」が新宿三越裏にお店を出していた移転前の60年代の写真
を偶然見つけました。
白黒の写真からオーナーの面影と共にさまざまなことを思い出し...。
その当時の私なんて生意気な20代の小娘でしたが、いつ行っても、オーナーは誰に対しても
同じ表情、同じ態度。
今にして思うと...。
なかなか出会えない素敵な人達に、若い時期にお会いできて幸せだったなぁと思うのです。
青蛾とは、もともと美人のこと。
きりりと眉を引いた美しい人のことを言うんだそうです。
正倉院に所蔵されている「鳥毛立女屏風」の女性の眉がその代表格と言われていますが...。
現代の美人のカテゴリーとはちょっと違う気がしますね(笑)
最近、中野に移転されましたが、そんな訳で決算の度に東中野に足を運ぶ機会があり...。
この界隈は、実は私には懐かしい場所なのです。
20代前半から10年近く中野坂上のマンションに住んでいました。
「青蛾/せいが」
高齢の風格のあるオーナーと華奢で上品な奥様がお店をなさっていて、店内は品の良いアン
ティークに囲まれた雰囲気のある珈琲屋さんでした。
珈琲の器は古伊万里。
もうたぶんお二人とも亡くなってお店も閉じられたと聞きましたが、友人の話だとビル一階
に掲げられていた「青蛾」と書かれた灯(あかり)はそのままなんだとか。
ネットを見ていたら、その「青蛾」が新宿三越裏にお店を出していた移転前の60年代の写真
を偶然見つけました。
白黒の写真からオーナーの面影と共にさまざまなことを思い出し...。
その当時の私なんて生意気な20代の小娘でしたが、いつ行っても、オーナーは誰に対しても
同じ表情、同じ態度。
今にして思うと...。
なかなか出会えない素敵な人達に、若い時期にお会いできて幸せだったなぁと思うのです。
青蛾とは、もともと美人のこと。
きりりと眉を引いた美しい人のことを言うんだそうです。
正倉院に所蔵されている「鳥毛立女屏風」の女性の眉がその代表格と言われていますが...。
現代の美人のカテゴリーとはちょっと違う気がしますね(笑)
no.284 stanfords
女性は地図を見るのが不得意って言うけれど、私は比較的好きな方だと思う。
こんなことを思い出すのは、そろそろ旅行に出かけたいってことかな(笑)
いい季節だしね!
行ったことのある場所を地図で確認しながらその時々のことを思い出していると、あたかも
自分がその場所にいるかのような臨場感。
自分がその場所にいるかのような臨場感。
想像の中のイメージトリップの出来上がり(笑)
日本に地図専門店ってあるのかな。
丸善とかにコーナーはあるのかもしれないけど、専門店って入ったことない。
息子の行きつけの西荻窪に一軒あったような。
「旅の本屋/のまど」っていうお店で旅の専門書を置いてたみたい。
今度入ってみよ。
「旅の本屋/のまど」っていうお店で旅の専門書を置いてたみたい。
今度入ってみよ。
地図専門店っていうと思い出すのがこの「STANFORDS」
ロンドンのコベント・ガーデンにあり、3フロアある建物全部が徹底して全世界の「TRAVEL」
と「MAP」に関する書籍のみ。
と「MAP」に関する書籍のみ。
1853年創業の老舗。
日本のガイドブックには載っていないような各都市の詳細な情報もゲットできて、旅の準備
段階には超お奨めのお店です。
日本のガイドブックには載っていないような各都市の詳細な情報もゲットできて、旅の準備
段階には超お奨めのお店です。
こんなことを思い出すのは、そろそろ旅行に出かけたいってことかな(笑)
いい季節だしね!
2012年10月2日火曜日
no.283 kin-tsugi
本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)作/赤楽茶碗/銘・雪峯
大胆な火割れがあり、その部分を金継ぎという技法で埋めたお抹茶茶碗。桃山時代。
骨董の世界では器を称するのに「景色」という独特の言葉をよく使いますが、この絶妙な景色!
現物はまだ拝見したことはありませんが、伝説の器です。
金継ぎとは、金と漆で欠けたり割れたりした陶器や磁器などを修理する日本古来の技法のこと。
なんでこの金継ぎのお茶碗を思い出したかというと。
お昼にお皿を取り出そうと食器棚を見ると、江戸初期の伊万里、ロンドンで買った平皿、明治時代の中皿が割れてしまっているのに気づき(泣)
独り暮らしの時は滅多にお皿を割るなんてことはありませんでしたが、家族と同居してから何枚割られたことか。
きっと物に対する考え方が違うからなんでしょうね。
器を丁寧に扱うことに全く重きを置いていない。
高価な器でも飾り物ではなく、日常の中で使い込んでいくのが信条の私は、高いお皿もどんどん普段使いをします。
だから多少割れるのは仕方がないとは思うのですが、このゾンザイな扱い(怒)
窓辺に飾ってあった安南(ベトナム)の小壷を掃除機で割られた時は怒り心頭に達しました。
どうしてそんな高い所に掃除機をかけようと思うのか理解に苦しむし、何故、器をどけてから掃除しないんだろう?
...で、これから金継ぎ教室に自分が通い、割られた器を修理しようと思った次第です。
長い時間をかけて生き残ってきた器たち。
そんな簡単に捨てたりできない。
大胆な火割れがあり、その部分を金継ぎという技法で埋めたお抹茶茶碗。桃山時代。
骨董の世界では器を称するのに「景色」という独特の言葉をよく使いますが、この絶妙な景色!
現物はまだ拝見したことはありませんが、伝説の器です。
金継ぎとは、金と漆で欠けたり割れたりした陶器や磁器などを修理する日本古来の技法のこと。
なんでこの金継ぎのお茶碗を思い出したかというと。
お昼にお皿を取り出そうと食器棚を見ると、江戸初期の伊万里、ロンドンで買った平皿、明治時代の中皿が割れてしまっているのに気づき(泣)
独り暮らしの時は滅多にお皿を割るなんてことはありませんでしたが、家族と同居してから何枚割られたことか。
きっと物に対する考え方が違うからなんでしょうね。
器を丁寧に扱うことに全く重きを置いていない。
高価な器でも飾り物ではなく、日常の中で使い込んでいくのが信条の私は、高いお皿もどんどん普段使いをします。
だから多少割れるのは仕方がないとは思うのですが、このゾンザイな扱い(怒)
窓辺に飾ってあった安南(ベトナム)の小壷を掃除機で割られた時は怒り心頭に達しました。
どうしてそんな高い所に掃除機をかけようと思うのか理解に苦しむし、何故、器をどけてから掃除しないんだろう?
...で、これから金継ぎ教室に自分が通い、割られた器を修理しようと思った次第です。
長い時間をかけて生き残ってきた器たち。
そんな簡単に捨てたりできない。
2012年10月1日月曜日
no.282 nara hotel mikasa
奈良ホテルのメイン・ダイニング「三笠」では、朝食に茶粥定食が頂けます。
朝ご飯を頂く時はだいたい軽いパンとかで済ませますが、ここに泊まるときはね〜。
やっぱり茶粥をお願いしちゃう〜。
そろそろ朝は冷え冷えとする季節の到来。
寒い中、神社仏閣巡りをした翌日は、この茶粥で温まってからまた仏像巡りに出かけていました。
そのほかの朝のメニュー、和定食や洋定食はお席についいてからも頼めますが、この茶粥定食
だけは前日にフロントにお願いしておかないと食べられません。
ここでしか頂けないっていう、そのスペシャル感もいいのかもね。
中宮寺のことを書いてたら奈良ホテルを思い出しました。
茶粥が食べたくなるなんて、ちょっと鬱っぽさから復活したかな〜?(笑)
朝ご飯を頂く時はだいたい軽いパンとかで済ませますが、ここに泊まるときはね〜。
やっぱり茶粥をお願いしちゃう〜。
そろそろ朝は冷え冷えとする季節の到来。
寒い中、神社仏閣巡りをした翌日は、この茶粥で温まってからまた仏像巡りに出かけていました。
そのほかの朝のメニュー、和定食や洋定食はお席についいてからも頼めますが、この茶粥定食
だけは前日にフロントにお願いしておかないと食べられません。
ここでしか頂けないっていう、そのスペシャル感もいいのかもね。
中宮寺のことを書いてたら奈良ホテルを思い出しました。
茶粥が食べたくなるなんて、ちょっと鬱っぽさから復活したかな〜?(笑)
no.281 miroku-bosatsu
中宮時は奈良、斑鳩(いかるが)にあるお寺。
法隆寺とは地続きで、以前ブログに載せた救世観音の祀られている「夢殿」の側を通って、
白砂の敷きつめられている清々しい中宮時敷地内に入ります。
ここは代々、皇室の皇女(ひめみこ)が門跡を勤められる尼寺。
草創は聖徳太子のお母様、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)です。
世界的に有名なのがこの如意輪観音。
正式には「弥勒菩薩座像」と言って、この世の中を救うために、私たちと一緒に同じ目線で
思い惑っておられる姿です。
よくモナリザと比べられる微笑み。
本堂そのものは1968年に吉田五十八(よしだいそや)によって改築されモダンな様相をして
いますが、この仏像が祀られているお座敷は周囲が開け放たれた明るい畳敷き。
ほんの2、3メートル先に、漆黒のこの弥勒様がガラスも柵もない床の間のような場所に
親しみやすく座っておられます。
暑い夏の日に、深まる秋の夕暮れに、そして厳寒の冬の最中(さなか)に、何度も訪れては
対峙してきました。
何を語られるでもなく、ただそこにおられる。
その空間を共有するだけで、なんとなく私の心は軽くなり、そしていつも思うのは「答えは
自分の中に既にある」ということ。
そのことを心から思い出す、ただその為だけに、何度もここに足を運んでいるのかもしれない。
また行っちゃおうかな〜もう(笑)
法隆寺とは地続きで、以前ブログに載せた救世観音の祀られている「夢殿」の側を通って、
白砂の敷きつめられている清々しい中宮時敷地内に入ります。
ここは代々、皇室の皇女(ひめみこ)が門跡を勤められる尼寺。
草創は聖徳太子のお母様、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)です。
世界的に有名なのがこの如意輪観音。
正式には「弥勒菩薩座像」と言って、この世の中を救うために、私たちと一緒に同じ目線で
思い惑っておられる姿です。
よくモナリザと比べられる微笑み。
本堂そのものは1968年に吉田五十八(よしだいそや)によって改築されモダンな様相をして
いますが、この仏像が祀られているお座敷は周囲が開け放たれた明るい畳敷き。
ほんの2、3メートル先に、漆黒のこの弥勒様がガラスも柵もない床の間のような場所に
親しみやすく座っておられます。
暑い夏の日に、深まる秋の夕暮れに、そして厳寒の冬の最中(さなか)に、何度も訪れては
対峙してきました。
何を語られるでもなく、ただそこにおられる。
その空間を共有するだけで、なんとなく私の心は軽くなり、そしていつも思うのは「答えは
自分の中に既にある」ということ。
そのことを心から思い出す、ただその為だけに、何度もここに足を運んでいるのかもしれない。
また行っちゃおうかな〜もう(笑)
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