2017年10月5日木曜日

no.1131 those that got recently

最近手に入れたものたち。
まずは印判の四角皿。横から見ると焼いた時の収縮率の差なのか、かなり歪んでいます。
欠けたり、入(にゅう)があったり、歪んでいたり。それはその器のもつ個性。
真っ新で誰の手も経ていない完品よりも、私はこういう個性を持った器の方が好きですね。


今年の初めに金沢に行った時に再発見した自分の性癖。鳥や小動物の図柄が好みってこと。
ご多聞にもれずこれも鳥ですね。鶺鴒(セキレイ)かな。


こういう時代を経た個性的な器に料理を盛ると、もうそれだけで何となく食卓が華やぎます。
これなんて時代も浅いし決して高価なものではないんだけど。

そしてこれは李朝の壺。これも形が均等ではなく斜めにカシイでいますね。そこがいい。


口の部分に大幅に直しが入っています。
それは前の持ち主がこの器にたくさんの愛情を持っていたってことの証。
この豊かな膨らみとヒンヤリとした地肌、深い青の美しさの前では細かいキズ達も気になり
ませんね。直した部分の欠けは金で継ぐかな。野の花をざっくり挿して楽しみたい。


これは中国のお皿です。明でしょう。白磁の部分が本当に美しい白。
買った時は頑固な埃がこびり付いていたけど、歯ブラシと洗剤で丁寧に取っていきました。
こういう作業が大好きなんだなぁ。あたし。
斜めに入った窯キズ(器を焼いた時にできたキズ)も愛らしい。


図柄はコオロギかな?面白いですね。中国はコオロギやらコウモリやら桃やら。
ラストエンペラーで溥儀がコオロギを飼っているシーンがあったでしょう?
高価なものだったんでしょうか。闘蟋(とうしつ)という賭博が今でもあるんだもんね。


これはね〜。珍しいものなの。
江戸時代に献上の和菓子を身分の高い方にお届けする折に使われた井籠(せいろう)
お通い箱(かよいばこ)、外居(ほかい)、行器(ぎょうき)とも呼ばれていたんだそう。


朱の漆が塗られたあと、角の隅々に螺鈿が施されています。
描かれている文字は「虎屋」そして「伊織」
今も大阪にある「鶴屋八幡」という和菓子屋さんの前身がこの「虎屋伊織」でした。
1702年創業というから元禄時代。1863年に鶴屋八幡としてリニューアルしたということです
から、この井籠が使われていたのは、その間160年くらいの間ということになるわけですね。


昔の和菓子は今の和菓子よりも大きかったんだって。このお井籠にぎっしりお菓子が詰め込
まれて、お殿様のいらっしゃる城内に運ばれたんでしょうか。どんなお菓子だったのかな。
ちなみに、これは米子の旧家の蔵の奥から出たきたものだそう。鳥取藩かぁ。

さて最近は何となく宗教的なものに惹かれているのですが、手に入れたのはこの千手観音。
お顔が柔和で美しかったのと何よりも出自がはっきりしていたので買ってしまいました。


台座には「山城國 十九番 革堂」と刻まれています。
山城國はいまの京都府の中、南部にあたる地域だったとか。古くは山背國と表記されること
もあって、奈良時代、平城京から見て「奈良山のうしろ」に位置した地域だったことからの
命名のようです。


京都市中京区にある行願寺は、西国三十三所第十九番の札所になります。
通称は革堂(こうどう)
開基の行円は仏門に入る前は狩猟を生業にしていたとのこと。
狩った母鹿から子鹿が生まれるのを見て殺生の非を悟った行円は、戒めに終生その母鹿の皮
を身につけていたことから皮聖と呼ばれ、寺の名前も革堂(こうどう)となったとか。
行願寺。私はまだ行ったことがない。宗派は天台宗。御本尊は千手観音。今度行ってみよう。

私の手元に来てくれた観音様は、昔々そのお寺にあったものかもしれないし、檀家のお一人
の持仏だったのかもしれないですね。
私の寝室で。いまは何を想っていらっしゃるのかな。


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