臼杵石仏群を見たあと、教えて頂いた骨董屋巡りをするために臼杵市内に戻りました。
行く途中、臼杵市立歴史資料館があったのでちょっと寄り道。
戦国時代に大友宗麟が丹生島に丹生島城(臼杵城)を築いた後、城下町としての臼杵の歴史
が始まったんですって。
キリシタン大名の大友宗麟。歴史の授業でやったあと、久しぶりにお名前を聞きました(笑)
当時の臼杵は明やポルトガルの商人たちが行き来するモダンな商業都市だったんですね。
歴史資料館近くのこの川は臼杵川。この川を渡って市内に入ります。
ここは二王座歴史の道。
大友宗麟が臼杵城を築城した当時からの町割りと道幅が残る歴史的な道です。
江戸時代には多くの武家屋敷や寺院が建てられ、石垣と漆喰壁、格子窓の町並みを今でも見
ることができる貴重な場所なんですって。
タイムスリップしたかのよう。昔の人がそぞろ歩いてきそうですね。
この通り沿いに「売家」と書かれた素敵な古いお家を見つけました。
えっ。こんな素敵なおうち、売っちゃうの?歴史的建造物じゃないの?おいくら?
などと。頭の中はいろんな考えが交差して(笑)
思わず担当不動産会社の電話番号を写メしそうになりましたが、ここは大分県だと気付き、
私がこの家を手にいれるというあまりの実現性の無さにやめました(笑)
歩き疲れたので近くのカフェで小休止。
昨日の B&B「蔵」といい、ここ二王座のカフェといい、なんと私の趣味、直球ど真ん中です。
私が電球色が好きなので、うちの灯りはすべてこういった暖かい色の灯り。
しかし考えたら、いま勉強真っ盛りの息子には蛍光色の灯りの方が目にいいかもねー。
やっぱり暗いかな。などと。そんなことを思いながら席に着きケーキセットをオーダー。
臼杵。いいところだな。またゆっくり来たいな。息子が独立したら住んじゃおうかな。
でも郡上八幡も。白山の鶴来町も。こないだ行った豆田町だって。彦根も会津も出雲も奈良
も京都も伊勢も。そうだ。再びあのロンドンも。住んでみたいって思ってるんじゃない?
そんなことをつらつらと思いながら午後は最大の目的。骨董屋巡りに。
いそいそと車を置いて町中に出向いたのですが、行く骨董屋さんが何故かすべてクローズド。
仕方ないので通りがかった野上弥生子記念館に立ち寄りました。
野上弥生子って臼杵のご出身だったのね。フンドーキン醤油の創業者のお嬢さんだったそう。
社名の由来ですが、裏表がない、というところから、天秤の重さ「分銅」に創業者小手川金
次郎氏の「金」を繋げてフンドーキンにしたんだって。なんとも。ユニークな命名..。
漱石が好きだったので、野上豊一郎つながりで野上弥生子も知ってはいたけれど、いまだか
つて作品は読んだことがなく。記念館の中で、早速Amazonを開き、ポチッとしてみた。
臼杵の町に後ろ髪を引かれながら(骨董屋さんは一軒も開いていなかったのでガラス越しに
いろいろなお品を見てきましたが)車で国道沿いを少し走ると。あっ。骨董屋発見!
無理やり車を止めて中に入ると、奥でご主人とお客様が「香港のオークションでン千万した
あれね!」とか「近頃の売値はなかなか大台に行かなくて。」などと話してらして。
何点か見せてもらいたくて奥に声をかけると、現れてきたのは今はあまり存在を見かけなく
なったかつての骨董屋さん。いいなー。怪しくて(笑)絶滅危惧種。
カードで支払おうとすると「あ。ちょっと待って。いまカード担当呼ぶから。」と暖簾の奥
に声をかけると「はい!」と現れたのが何とも爽やかな息子さん。
ご主人とのあまりのギャップに「息子さんなんですか?」と声をかけると「はい。息子です。
今日はいろいろ見て回られたんですか?」と問われ。
行ったお店がみんな閉まっていた話をすると「あぁ。みんなやる気ないですからねぇ。趣味
なんですよ。お店が。」とのお答え。
そうか。臼杵の骨董屋さんは趣味人の集まりだったんだね。なるほど。
妙に納得したあと。大分空港へとひた走り、今日のご飯は朝食だけだったのを思い出して急
にお腹が空き。これ。名物の「りゅうきゅう丼」を頂きました。
りゅうきゅう丼はお刺身を甘辛い漬け汁につけてたっぷりと頂く大分の郷土料理なんだって。
基本はブリらしいのすが、お刺身なら何でもいいみたい。
地方によっては「あつめし」や「ひゅうが丼」とも言われているようですよ。美味しいです!
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