2012年6月3日日曜日

手代木直右衛門(てしろぎすぐえもん)1826〜1904
幕末、会津藩が京都守護職にあった時、公用人として朝廷、幕府、諸藩との連絡、調停役に
あたった人物。維新後、投獄。
赦免後、香川や高知の各権参事を歴任。最終的には岡山区長となり、岡山市で病没。
会津がルーツの母方の姓が「手代木」といい、どうも親戚筋のご先祖のようです。


昨年の真夏、うだるような暑さの京都で息子と訪れた「霊山館」
龍馬を始め、幕末に関する資料が所狭しと並び、近くの丘にある龍馬と慎太郎の墓、霊山神社と共に
大勢の人が訪れます。
そこで見つけた京都の直右衛門が会津藩の家老に送った手紙。
そして晩年の直右衛門が言い残した「近江屋事件は、殿(松平容保)のお指図で私が采配をとった」という言葉。

息子は、大好きな龍馬の死と自分のご先祖が関係していたかもしれないという事を知って、かなり
ショックだったようですが、当時はイデオロギーの違いは死を意味するものなんだと、心底身近に
感じられる結果となりました。

歴史と自分が繋がる瞬間。
かつて生きた人々のいろいろな想い。いろいろな人生。さまざまな真実やさまざまな正義。

そんなことを深く思い描ける人になってもらいたいと思っています。


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