2012年7月29日日曜日

私は花火のことを考えていたのです。我々の生(ヴイ)のような花火のことを。

今夜は隅田川の花火大会。
私は静岡なので一緒に行けませんでしたが、姉と息子は見物にでかけたようです。
夏の夜空を彩る花火。
華やかなのにどこか寂しさがつきまとう光。
それは、お盆の時期などと重なるからでしょうか。

花火という単語を聞くといつも思い出すのは芥川龍之介の「舞踏会」
17歳の時に父親と訪れた鹿鳴館の舞踏会の夜のことを、老婦人がたまたま列車で隣り合わせた
青年に物語る短いお話です。
芥川が、実在したフランス人、ピエール・ロティに語らせた言葉の奥底に漂う深さを、教科書で
学んだ時は若すぎて理解できなかった。


夜空に次々と打ち上げられる花火。

屋台で綿飴を買ってもらったこと。履き慣れない下駄の鼻緒が痛かったこと。
そして白熱灯の光が揺れる水の中で涼しげに泳ぐ金魚や、ぼんやりと光に照らし出された人々の
楽しそうな顔。
幼い時の儚い夢のような夏の夜の記憶。

「私は花火のことを考えていたのです。我々の生(ヴイ)のような花火のことを。」

いまの私なら、同じようなことを想うかもしれない。


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