2018年6月10日日曜日

no.1187 a short trip from yobiko to hirado

唐津のホテルを9時に出発し、一路、呼子へと車を走らせました。
快晴!素敵なドライブ日和の朝です。
ひとつ呼子に気になるアンティーク屋があったのと、糸島のお友達、Mさんお勧めのイカを
お昼に食べてみたいしなぁ、なんて思い。
すっかり真夏のような日差しが照りつける中、1時間と少しで呼子の港に着きました。
海風が吹く港。そこここに大漁旗が旗めいています。
映画で寅さんもここに来てたよね。映像ではもっと鄙びた昭和の港町だったけど。


呼子は朝市が有名ですよね。
市で買った魚介類を朝早くから開いている定食屋さんに持ち込むと、その場でさばいてくれ
て朝定食で食べれるんだそう!今度は近くに泊まって朝市ものぞいてみたいなー。

その昔、呼子は鯨漁で栄えた港町だったそうで、鯨組主「中尾家」の邸宅跡が公開されてい
ました。
中尾家は江戸時代から明治初頭にかけて8代(170年間!)に渡り呼子を拠点に捕鯨漁を
営んでいた鯨組主なのだそうです。
邸内は残念なことに撮影禁止。もうこういう壮大な梁が組み合わせれたお屋敷を造れる職人
も資金も材料も揃わないだろうな。スタッフの方が一緒に歩いて詳しく説明してくれました。


鯨一体を資源として余すところなく使われた日本の捕鯨の歴史も学べます。
でも。いまの時代。鯨にも高い知能があるということがわかった上で鯨漁の資料を拝見する
と、それは本当に残虐以外のなにものでもなかった。
豊漁の後の賑わいが描かれた絵を見ながら、シンとした邸内で悲しみの気配に包まれました。
人間は悲しい。こういう行為をしなければ生きられない。どこに向かうのかな。私も含めて。
アイヌの熊送りもそうだけど、中尾家も鯨供養は欠かさなかったとか。
でも。それだけでは救いきれない魂の数々。
結局、中尾家は鯨の減少とともに衰退して行きます。
子孫の方は今はまったく違う業種につかれて関東にお住まいなんだそう。
歴史を背負ったお家に生まれるということは大変なことなんですね。
うしろにいつまでもいつまでも歴史という重みがのしかかる。その子。孫。子孫代々。


中尾家そばのお目当のアンティーク屋さん「Souvenirs And More」は、土日と祝日しかやって
いないことが行ってから判明。残念。平日はあまり人が来ないのかもね。
呼子の町を隅々まで見ている間にお昼を過ぎてしまいました。
朝から何も食べてないし。お目当のイカも食べてみたいしなぁ、と数件お店を見てみました
が、どこも観光客で満席です。みんなバスや車でお昼時を目がけて来るみたい。
並んでまで食べるものなんてそうそう無いと思っている私は即座に方向転換(笑)
干されたイカの姿を横目で見ながら呼子の港を後にしました。またね。今度ゆっくりと。


どこに行こうかなぁ。これから。平戸。行ったことないな。なんか惹かれる。ここから2時
間くらいか。よし!という訳で。エンジンをかけて無謀にも無計画に平戸へと向かいました。
旅の目的、骨董、アンティークの類は平戸に着いてからリサーチするとして。
途中の国道沿い一軒屋風のお店で遅いお昼。
滅多に食べないハンバーグ定食。これしかなかったから(笑)
でも家庭的で美味しかったよ。おばちゃんの手作り風。
私の出で立ちがかなり珍しいのか(普通にジーパンにTシャツなんだけど)上から下までゆっ
くりと見られました(笑)そうか。言葉かな。やっぱり全然アクセントが違うのかも。


そしてお店で目的地を検索。目指すは田平天主堂。国指定重要文化財。ここに行きたい!
いつからか。こうやって感じるままに旅をすることが必然で、これが自分の人生を形作るん
だと思えるようになりました。
以前はほんとにきっちりスケジュールを決めなければ旅する意味がないなんて思ってたけど。
こんな内側の声に導かれる旅ができる環境を作ってくれた全ての人達に。そうさせてくれる
家族に。風景。建物。人。骨董。風土。歴史。そんなこんなに興味を持ちそれを一生の仕事
にできることに。
私は深く感謝しています。


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