2012年4月30日月曜日

「Pomme de terre/ポン・ド・テール」
フランス語で「大地のリンゴ」という意味で、実は「ジャガイモ」のことなんだそうです。
西荻窪のこのお店は、以前はイートインもしていて、よくここでお友達と待ち合わせしてランチ
をとったりもしていました。
今は諸事情でテイクアウトのみ。時間によっては行列ができるほどの人気店です。
買って行く人達の中には30個とか購入する方も!
人に差し上げたり、冷凍しておいて後で楽しむのかもしれませんね。
私も最低5個は賈います(笑)



ここのベーグル、以前は1日5個のみ作るサイド・メニューの様な存在だったそう。
それが口コミで人気を呼び、いまでは作ったベーグルは全てその日に売り切れるほどに。

ランチの人気メニューだった美味しいヴィシソワーズ(冷製ジャガイモのスープ)
テイクアウトのアイテムに追加してくれないかなー。



都内の輸入食材屋さんで、ロンドンでよく飲んでいたお紅茶のティーバッグを見つけました。
あっちのスーパーで山積みで売っている安価なお茶。
ものすごく濃く出るので、ミルクティーに最適なのです。
でも日本で何回やってもイギリスで飲んでいたお茶の色と味にならない。
こうしてアイテムを同じにしてもどうしても同じにならないのは「お水の差」なんだと思われます。
ロンドンのお水は硬水。日本のお水は軟水ですものね。

なおかつ、ロンドンの水道水には石灰のカス(ライムスケールと言います)が含まれているので、
水道管やポットに白い固まりがついていたりします。まれにお水が白濁していることも。
日本から持って来たシャンプーなどを使ってると髪がゴワゴワする(泣)
でも何故か紅茶には最適らしい。
東インド会社が紅茶を運んできて、イギリスで大人気になったのも納得できますよね〜。
イギリスで飲むとほんと美味しいもん。



昨日、西荻窪で買って来た「ポム・ド・テール」のベーグルと。
ここは私のベーグルの概念がくつがえったお店です。
ポム・ド・テールのベーグルを食べたら、他のお店のはボソボソと味気なくて...。
ぜんぜん買う気になりませ〜ん(笑)


銀座にある巴馬ロハス・カフェ。
ここ最近、何回か足を運んでいます。
友人とランチ/ボーイフレンドとディナー/打ち合わせでクライアントとお茶を...など。

ここのプロデュースは「ソトコト」編集長、小黒一三氏。
中国の巴馬地区の人々が長寿で健康であることから、彼らが常食している火麻(大麻)の実や油を使って、身体の奥から美しくなるお食事を...がテーマなんだそうです。
お料理の味はシンプルで素材を生かしていて、余計な物は省いたストレートな味。
私のお気に入りは、厳選されたお野菜をスチームして火麻塩で頂くもの。
お粥や点心、デザートもさっぱりしてて優しい味。美味しいです!


銀座はしばらく遠ざかっていましたが、やっぱり街が落ち着いていて大人がゆっくりできる場所。
お食事場所にも苦労しないので、最近は出かける頻度がまた増えました。
裏通りを歩いてみると、何年も前によく行った甘味処やお菓子屋さんを見つけて懐かしくなります。

どこの街に行っても、なんとなく「路地」に魅かれるのは...おんなじですね(笑)


2012年4月29日日曜日

これは旧イタリア大使館別邸。
明治期から国際的避暑地として人気があった奥日光、中禅寺湖の湖畔にあります。
まず目を引くのは、杉の皮を竹縁で押さえた意匠で徹底的に統一された外壁やインテリア。
日本古来の茶室にインスパイアされたこの意匠は、周囲に広がる奥日光の自然とびっくりするほど
融和しています。

設計者はチェコ出身のアントニン・レイモンド(1888〜1976)
この方は「帝国ホテル」で有名なフランク・ロイド・ライトの設計スタッフとしてキャリアを開始
した建築家だったそうで、そう言われてみると、この別荘にもライトの影響が見てとれるような気
がします。


別荘の前の岸にヨット用の桟橋が残っていました。
華やかで賑やかだった想い出を語る様に、ゆるやかな波が桟橋に寄せては返し...。
かつて人々で賑わっていた場所というのはどこも、なんとも言えないノスタルジックな想いを起こ
させます。
あたかも自分が同じ「時」を前世で体感したかのような。

日光にはこの他、金谷ホテル、日光真光教会などの素敵な建築も残されていて、古い建物フリークの私には見どころがいっぱい(笑)
そう言えば「日本奥地紀行」を著したイザベラ・バードというイギリス人女性旅行家が、1878年に
東北へ向けて旅に出かけた時もここ日光が拠点でした。

バードの様なそんな確固たる探究心はないまでも、私も様々な旅に出かけて心を揺さぶられる発見
をし続けたいと思っています。


2012年4月28日土曜日

息子がいま帆船に夢中。
発端は「Pirates of Caribbean」のジャック・スパロウのファンだかららしいけど。
ブラック・パール号やフライング・ダッチマン号のレゴはすでに完成させたので、今度は精巧な
プラモデルが欲しいとか。最終的には誰が作るんだか...(笑)
というわけで、先週行った門司港のお土産に、息子にはイギリスの帆船「HMSビクトリー号」
の小さい模型を買って来ました。

これは、アルゼンチン、フエゴ島の「世界の果て博物館」にある、1883年に沈没したイギリス
帆船から引き上げられた船首像(フィギュア・ヘッド)
船などの乗り物は、英語では女性に例えられますよね。
だからなのか、船首像も女性をかたどったものが多いようです。
だから息子みたいなチビでも、なんとなく帆船にはロマンを感じるんでしょうか。


この博物館は1903年、当時のアルゼンチン大統領マヌエル・バルデスの邸宅として建てられました。
後にアルゼンチン国立銀行になりましたが、現在は、先住民族や自然についての展示の博物館に。

いろいろな物ごとを見てきたであろうこの船首像。
もし魂があったのなら...いったい何を物語ってくれるかな。


佐賀県唐津市にある旧高取邸。
明治の炭鉱事業家、高取伊好が建てた2300坪ほどある唐津湾に面したお屋敷。
本格的な日本家屋と洋館が並び、個人宅なのに能舞台もある珍しい住宅です。  


器となる住宅だけではなく、日本座敷の欄間やすりガラス、金をふんだんに施した杉戸絵や洋館の
マントルピース、アールヌーボー様式のシャンデリアや家具など様々なアイテムがとても素敵です。
ごく最近まで、高取家の一族の方がお住まいだったと伺いました。
この広大なお屋敷、お庭を個人で維持していくのは大変なこと。
観光資源としてだけではなく文化の継承としても、なぜ政府がこういったものの保存にお金をかけ
ないのか本当に不思議でなりません。

自然も文化も、放置しておけばやがて崩れていってしまうもの。
意識して守っていかなければ、簡単に儚く消えていってしまうのです。
イギリス人のトラスト組織などを我々ももっと見習うべき。

「アイデンティティ」の確立。
それって、いまの日本人に最も必要なことだと私は思っています。
自分はいったい何者で、何のためにどこへ向かっているのか。
それを各々がぼんやりとでも認識できれば、少しずつ社会が良い方向に進むはずですよね。



2012年4月27日金曜日

台湾ってすごく居心地がいい所じゃないかな〜。
人々は親日家でフルーツやお食事、お茶も美味しいし。

以前ayuちゃんのアジア・ツアーで訪れた時、サジマ仲間(マッサージ仲間のこと。業界用語で「マッサージ」がさかさまです)の友成さん(ayuバンドのバンマス。名キーボーディストで特に
ハモンドオルガンは絶品)と陽子さん(ayuバンドのアイドル。コーラス・リーダーで超スイーツ
好き)の3人で台湾シャンプーなるものに行ってきました。

台湾シャンプーは座ったままシャンプーし、なんのためかは分かりませんが、一度ピン!!って
髪の毛を写真の様に立てるの(笑)
このあと洗い流しますが、スカルプ・マッサージや肩もみもついて1時間¥1200くらいだったかな。
気持ちい〜いのです!
台湾の地元の人たちの中には自宅でシャンプーしないで、毎日、美容室でシャンプーしてセット
してもらう人もいるとか。ほんとかな〜?
でも低価格だから可能かもね。


この3人で香港、上海などでもあらゆるマッサージに行きまくりました。
上海で深夜行ったカッピングはすごかったなぁ。
身体一面にアザができて、危ない趣味の人みたいになっちゃったり(笑)
この3人にベースのエンリケさんも加わると、最強の地元探検隊になります。

また台湾ゆっくり行きたいな〜。
素敵なアジア・ツアーの「おもひで」です。


2012年4月26日木曜日

奈良県明日香村にある「岡寺」は別名「龍蓋寺」とも呼ばれる古刹。
義淵僧正という方の開基で、この方の門下には良弁や行基などの名僧が居て、7、8世紀の仏教界にはなくてはならない存在だったようです。

岡寺を訪れたのは何年か前の初夏の頃。
ジリジリと照る太陽の光も、お寺のある小高い山を登って行くにつれて遮られ、木陰に涼しい風が
吹く爽やかな祈りの場所でした。
ご本尊は如意輪観音。
その胎内仏として納められていたのがこの如意輪半跏像。
高さ16㎝の小さな仏像です。
この柔和な表情をした仏様はとても人気が高く、8世紀頃の作と言われていますが詳細はいまだ
わかりません。

いつの頃か火災にあったと思われ、表面が炎に焼かれてまろやかになっているのが、より優しい印象を与えています。
ここは草壁皇子(くさかべのみこ)のお住まい「岡宮」があったとされる場所。
この仏像には、若くして亡くなられた悲劇の皇子の面影が宿っているのでしょうか。


木漏れ日がちらちらと射す岡寺で、天武天皇と持統天皇、この強力な両親の元に生まれた草壁皇子の決して穏やかでなかったであろう短い一生を想いました。

如意輪半跏像のゆるやかな優しい表情は、想像を絶する「悲劇」を経験した人の深い諦めの面差しに似ているのかもしれません。


2012年4月25日水曜日

昨日は、また神楽坂に行ってきました。
ル・クロ・モンマルトルというカフェでランチ。
以前、オークラにいらしたというフランス人のシェフのお店です。
夏には一ヶ月お店を休んでしまうそう。バカンス好きのフランス人らしいなぁ〜。

前菜、メインから一品ずつ選べ、食材も吟味されてて量もたっぷり。
これに赤か白のワインがついて¥1400位です。
これは私が頼んだ前菜、レンズ豆のサラダ。メインは私には珍しくステーキを頂きました。


神楽坂は路地が多く「こんな所に!?」という場所に素敵なカフェやバーがあります。
普段あまりお酒を飲まない私も、都内にホテルを取ってゆっくりワインを楽しみたくなる所ですね。
年をとると疲れやすくなったり、しわが増えたり、残された人生に不安が出たり...と、色々な弊害があるけれど...。
こんな風に街やお店の雰囲気、お食事やお酒をじっくり楽しめる様になるんだから、あながち悪い
ことばかりでもない(笑)
自分の裁量で、居心地の良さや環境のレベルを確保できるようになるしね。
年と共に食事の量や日常生活の新鮮な驚き自体は減ったけど、食べ物や暮らしの「本当の美味しさ」を味わえるようになってきたみたい。

人生、これからが楽しいんじゃ〜ん!って感じです(笑)


2012年4月23日月曜日

今朝の福岡は快晴。五月晴れの様なドライで爽やかな朝。

そんな天気に誘われるままに、今日は以前から行ってみたかったレトロな街「門司」に
出かけました。
明治、大正期に大陸貿易の拠点として栄えた北九州、門司港。
重要文化財に指定されている門司港駅を始め、当時の多くの西洋建築が残っています。
古い建物の外側やアイテムを生かして、まるで海外にいるのかと錯覚するような雑貨屋さん、
カフェ、アンティーク・ショップなども充実。
幅広い年齢層の人たちが仲良く働いてるいるのも印象的だったな。
みんな、気だてが良くて、とっても人懐っこいのです。
ひとり旅だと1日誰とも話さないこともあるけれど...門司では色々な人とお話しました。

旧大阪商船、旧門司税関、大連にあった建物を移築した国際友好図書館。
すべて素敵な煉瓦作りの建物です。
同じ港町だからでしょうか。なんだか小樽に似ている気がした。
メインから少し外れると「昭和」な商店街があるところもね。


これは旧三井倶楽部の内部。
階段や照明、そして家具にも手の込んだ意匠がほどこされています。
この部屋は、その昔、アインシュタイン夫妻が宿泊したお部屋だそう。
調度品、バスルーム、ベッドまでもそのままに残してあります。
遅いお昼はここのダイニングで門司港の名物「海鮮焼きカレー」を頂きました。

そして、夕方には小さなフェリーに乗って下関〜門司の往復。
片道所要時間5分の短い船旅です。
夕陽が照り返す海を見ながら風に吹かれて水平線を見ていると、暫し、わずらわしい事は
全て忘れてみたりして(笑)

なんだか懐かしい街、門司。今度は泊まりがけで来てみたいなぁ。


2012年4月22日日曜日

昨日から福岡に入っています。
激しい雨と風、という天気予報でしたが幸いにもお天気はあまり崩れず...。
今日は打って変わって快晴の朝です!

福岡のお土産と言えば...家族に大好評のこの「稚加栄のさんま明太」ですね。
料亭を経営している稚加栄が販売するこのシリーズは絶品。
さんま一匹に明太子がまるまる一本入っていて、お酒の風味も効いたなんとも贅沢な一品です。
すこし小ぶりのいわし明太もあるけど、私はこのさんま明太の方が好みですね〜。


基本、匂いがこもるので、私はうちのキッチンでお魚を焼くのが嫌い。
ただこれは焼く用のアルミホイルが付いていて、全く匂いが気にならないのも魅力です。

ちょっとお値段は張りますが、福岡に行ったら必ず買って帰って家族みんなで楽しんでいます!

2012年4月20日金曜日

初めてロンドンに行ったのは、もうかれこれ20年くらい前。
レコーディングスタジオの視察という形で組まれたスタジオ協会のツアーに参加しました。

団体行動の苦手な私はスタジオ視察だけ参加して(個人では許可を取るのが面倒なので)、往復の
エアやホテルは自分で取っての気ままな旅。
ホテルは大英博物館そばのRussel Squareにとり、視察の合間に美術館巡り。

その中で一番、心に残っている美術館は2007年に閉館されたパーシバル・デビッド・ギャラリー。
一人で訪れた東洋人の私に、制服を着た物静かな監視員のおじさんが、とても丁寧に国宝級の陶磁器の説明をしてくれました。


Sir Percival David(1892〜1964)という方は、個人の収集家としてはあり得ない数の東洋陶磁器の
コレクションを持っていた方。
特に中国陶磁器に関しては、北京や台北の故宮博物館でも見ることのできないほどの、素晴らしい
逸品ばかりのコレクションを所有していました。
彼の没後ロンドン大学に全ての陶磁器が寄付され、この個人名の美術館を運営してきましたが経営難から閉館。今は大英博物館内にパーシバル・デビッドのコーナーが設けられているそうです。

ロンドンの主な博物館や美術館は入館料をとらない所が多いですよね。
それは、世界に名だたる美術品を全ての人が平等に見られる環境にあるべきだ、との考えから。
戦争のどさくさに紛れて...とか、金に物を言わせて...とか、英国人の収集の仕方にはかねてから賛否両論がありますが、これだけの品々をここまで細部にわたって類別して保管し、こんな形で公開できるのは...イギリス人だけなのではないでしょうか。


2012年4月19日木曜日

法隆寺の仏像群の中で、私が最も親しんだ「百済観音」
身の丈2mもあるお背の高い仏像です。
横から見るとお身体がS字型に美しくしなっていて、つまむように水瓶(すいびょう)を持った左手と共に、それらが、今にも動き出しそうなリズムをこの仏像に与えています。
百済と銘打つからには、朝鮮半島で制作されたものなのかと思いますが、実は制作地、制作年代などわからないことがとても多い仏像なのです。


今は宝物殿に納められ大々的に展示されているかたちですが、明治時代は、うす暗い金堂の北側にひっそりと安置されていたとか。
できることなら明るい電灯の下ではなく、その頃のように、外光が少し入るうす暗がりの金堂の中で
お会いしてみたかった。
信仰の対象であるものは、やはり信仰の場において拝されるべきもの。
保存の立場から言えば、エアコンが完備され、防災対策万全な美術館は完璧でしょう。
でも「仏を尊ぶ」という見地から考えると...少し問題は違ってくるかもしれません。
人工の光の中の百済観音も十分に美しい。
でもどこかリラックスできない面映さがあるようで、なんだか可哀想な気持ちがします。

よく比較される、同じ法隆寺、夢殿の「救世観音」
こちらは長らく秘仏であった為に、今でも年2回春と秋との公開以外は、暗い夢殿の奥深くに納められています。

熱海も大好きな場所。
まだ息子が小さい頃は、息子の誕生日に合わせて家族でよくお泊まり旅行に出かけました。
熱海の海岸は地元の方達の努力でとても清潔。
そして整備もきちんとしていて安心して遊べます。
駅そばの商店街も鄙びてて素敵。温泉も湧き出てて、いいとこだらけ(笑)
本気で、隠居した時はここにも家が欲しいなぁ...と思っています。


最近初めて訪れた「起雲閣」
ここは実業家の根津嘉一郎の別荘だった所で、のちに旅館として使用された時には、たくさんの
文豪にも愛された場所でした。
贅沢な資材を使いまくった邸宅で、この素晴らしいダイニング兼サンルームも、床にはモザイクが
敷きつめられていて、天井からはくもりガラスを通して優しい光を取り込んでいます。
この他にも端正な和室、豪華な暖炉やいぶした様なシャンデリア、ドアのノブの意匠や窓や階段の
木材の材質など、見どころ満載なお屋敷です。
お庭も当時のまま丁寧に整えられて、この時は梅が満開で上品な香りを放っていました。

こういう所に住んで、心豊かに一生を終えられたら...なんて想像するだに幸せ!
でも、私だったら毎日なにをするかなぁ。
自分が住むことを考えると...お掃除大変そう。
人にやってもらう財力があったとしても、私、結構、癇性だからなー。
自分で毎日雑巾がけしちゃうのかも(笑)


2012年4月18日水曜日

マカオのセントポール天主堂跡。
香港からマカオへは高速船(ターボジェット)で約1時間の旅。
まだ会社員だった頃、ロイヤリティーフリーの楽曲の見本市が香港であり、帰国前日にマカオまで
一人旅したことがありました。

写真で見ていた時はもっと大きな建築物を想像していたのですが、意外に小ぶり。
17世紀初頭にイタリア人修道士によって着工され、幕府に弾圧されてマカオに逃れて来た日本人も
この建設に関わったとされています。
だからかなぁ。
西洋建築でありながら細部に東洋的なものが含まれていて、とてもシンパシーを感じました。
3回も火災にあい、残っているのはこのファサードのみ。
これも私の大好きな「残欠」の一種(笑)?
残された一部分だけを見ていると、もう二度と見ることの出来ない失われた全体像が、想像の中で
より美しく立ち現れてくるのです。


マカオは裏通りも良かった。
カジノやブランドショップなどのきらびやかな世界とはまた別種な、生活の匂いや湿度がある街角。
外に出したテーブルで食事をする人。路地で遊ぶ子供たち。塀の上から見下ろしているやせた猫。
椅子で居眠りをするおばあさんや、にぎやかに麻雀をするおじさん達。

カジノや高価なだけのショッピングに全く興味がないので、私なんかはマカオの楽しみ方が全然
わかってない部類かもしれませんね。

でもそれでいいって思ってます(笑)

福井県、一乗谷の朝倉家屋敷跡。
何年か前の福井での仕事のあと、やはり春のこの時期に一人で訪ねました。
山に囲まれたなだらかな丘陵地に、屋敷跡や復元中の街並が点在していて、鶯やひばりが鳴く
のどかな場所。
戦国時代、この地で凄惨な戦いがあり、朝倉一族が滅んだ歴史があるなんて、こんな穏やかな風景を
見ながら誰が想像できるでしょうか。

有史以前から現在に至るまで、人間って本当に愚かさが変わらない。
戦っている内に、自分がなんのために戦うのか、なんのために生きようとしているのかさえも
わからなくなる。
何のために増殖し、なんのために破壊しているのか...。


ひとり、苔むした石垣に腰をおろして桜が散るのを眺めていると、

おろかなことをした。もういちどやりなおせるなら、みなとともにたのしくおだやかに
あたえられたてんめいをまっとうしたい。

そっと誰かがつぶやいている声が、傍らから聞こえてくるような気がしました。

悲しみや憎しみ、嘆きや絶望。
前世でのマイナスポイントを今生の「生」で生かさないと。
歴史を学ぶってことは「いま」をよりよく生き切るノウハウを得るってこと...でもある。


2012年4月17日火曜日

昨日訪れた宝塚の清荒神(きよしこうじん)
曇り空でお天気もつかなぁ...と思っていましたが、お参りするために歩いているとポツポツと...。
その内、本降りになってきました。 春の雨。
どこかで鶯も鳴いていて、樹々に囲まれた参詣人の少ない参道を雨に降られながら歩いていると、
さながら漱石の「草枕」の一場面のようです。
草枕の画工みたいに、私も春の「非人情」な旅に出ている...というところでしょうか(笑)

荒神様は竃(かまど)の神様。家族の健康と家の安全をお祈りしてきました。
神社でお祈りしていると、風がフワ〜と吹いてくる時があって、そんな時は神様に「よく来たな」
と言われている気がして嬉しくなります。


参道に「参福ミフク」というごまどうふのお店があり、自宅用にと買い求めていると、奥に陶器や
磁器がたくさん陳列されているのに気づきました。
伺うと、先代が全国各地の窯元などを訪れて、ご自分のメガネにかなうものだけを買い求めて取り寄せていらしたとか。セレクトショップのはしりですね。

素敵な柄の会津漆器のお椀があり手にとると、なんだか懐かしい心持ちがしました。
あるお姫様のお輿入れの時のお祝いの図柄を30年前にオーダーして作らせたものだそうです。

私のルーツが会津だから...DNAが反応したかな(笑)

2012年4月16日月曜日

大阪での定宿、ニューオータニはチェックアウトが12時。
昨晩遅くに部屋に戻ってから、ゆっくりお風呂に入ったのですが疲れがなかなか取れず...。
思いついて、90分、お部屋でマッサージをお願いしました。
そこから深い谷に落ちる様に眠り(笑) 
なので遅いチェックアウトはありがた〜いのです。

新大阪駅に荷物を置き、午後から電車を乗り継いで宝塚の清荒神(きよしこうじん)へ行って
きました。
ここの「さん志ょうや本家」という佃煮屋さんの佃煮が絶品で、大阪で時間に余裕がある時には
必ず出かけて行きます。
特にお気に入りは青山椒! ピリリとくる刺激がたまりません。
お店の人たちも本当に感じが良くてフレンドリー。
テキパキと働く姿がとても気持ちがいいのです。 私もここでバイトしてみたい!


家族も「さん志ょうやさんの佃煮」が大好きなので、自宅用とお届けもの、あと遠方へのご進物
など結構な量を買ってしまいました(苦笑)

新幹線でこれから戻らなきゃならないのにね〜。


コンサートは無事に大阪2日目も終了。
本日中に東京に戻るメンバーを新大阪まで送ってから、スタッフの方と京橋の美味しい上海料理の
お店「金国」へ行ってきました!
ここは本当に何を頼んでも美味しくて、ミュージシャン仲間では有名なお店です。
コンサート終わりで551の肉まんを食べた後なのに、モリモリと頂いてきました。
前菜から始まり、最後は蟹レタスチャーハンで締め。
そんなに飲めないなーなんて言ってた割に、ビールの他に温かい紹興酒を二人でボトル3分の2は
あけてしまい...。

お隣の方が食べていた「金国ラーメン」も美味しそうだった!
しかも私が大好きな塩ラーメン。
知らない人なのに失礼だなーと思いながらもチラチラ見ちゃいました(笑)
今度絶対頼んでみよう!


最後に上海ご出身のママとマスター、お二人の写真を撮らせて頂きました!
ご覧の様に美男美女。本当に仲睦まじくて、お二人のお人柄がお店の中にあふれています。

大阪でお仕事がある時は必ず行く京橋駅そばの上海料理「金国」。
また夏に伺いますね〜!


2012年4月15日日曜日

昨日から大阪に来ています。

大阪城ホール周囲の桜は東京よりも開花が少し遅かったらしく、満開を少し過ぎたところ。
お天気も気持ちよく晴れてお花見日和です。
家族連れや犬のお散歩の人、コンサートの観客で大阪城周辺はすごい賑わい!


昨晩は地方初日でしたので、バンドメンバーと江戸堀という場所にある「和じ庵」というお店に
お食事に行きました。
若干のメンバーチェンジがあり、このメンバーでがっつり食事に行くのは初めて。
ワインが何本も空き、蟹味噌グラタンや和牛のステーキ(お塩とガーリックで頂きます)、お造りやとらふぐの唐揚げなど、美味しいお食事を深夜にも関わらず健やかに頂きました(笑)

都内では車のことが多いのでなかなかお酒を飲めませんが、あとはホテルに戻るだけという環境だとリラックスして楽しめますね〜。
普段あまり突っ込んだお話ができない人ともお酒を介してお話すると、意外なことで悩んでいたり、新たに面白い一面に気づいたりして、より近しい間柄になれるし...。
適度なお酒は潤滑剤として大事。

昨晩は、私には珍しく「残波ザンパ」という泡盛の水割りを頂きました。
これがとっても飲みやすかった!


2012年4月14日土曜日

昨日は、仕事の合間に神楽坂にランチを食べにいきました!
商店街にすごく活気があって、おしゃれなお店がたくさんあります。人通りもすごく多い。
昔から花街があったり料亭があったり....。
神楽坂は「通人の街」の印象がありますが、最近はヨーロッパ的な街並みなんですね〜。
ジェーン・バーキンもこの街が大好きだとか。
来日の時はこの街のホテル「The Agunes」に必ず宿泊するそうです。

食後にカフェ・クレープリー「ル・ブルターニュ」に行き、美味しいクレープを頂きました。
ここはフランスのクレープリーを日本に初めて紹介した所だそう。
表参道のちょっと奥まった場所にもお店があるようです。今度はここも行ってみたい〜!
ほどよい甘さで食後のスイーツに最適のクレープでした。


年をとると食事も量が食べられなくなり...(泣)
美味しいものを少しだけ。
いまは1日の食事も1、2回にしています。

3食がっつり頂くと後がつらいので...(笑)

2012年4月12日木曜日

奈良、桜井にある聖林寺。ここにも有名な十一面観音が祀られています。
明治時代に日本を訪れていたアメリカの東洋美術史家フェノロサが、近隣の大御輪寺の軒下に捨て
置かれたこの天平時代の仏像を発見し、所縁のある聖林寺に運び込んだのだとか。
先々代のご住職はその時12歳で、大御輪寺から聖林寺まで荷車に乗せて運ぶのを手伝ったそう。
おりしも桜の散る季節。
フェノロサのこともよく覚えていらして、とても優しいおじいさんだったと後に話しておられます。

明治の廃仏毀釈により、どれだけの文化財が失われたかを考えると残念でなりません。
海外の美術館を訪れると、本当に多くの文化財、美術品がこの時期に外国にながれているのがよく
わかります。
こんなに自国の文化を尊ばなかった人種って、他にいないんじゃないかなぁ。
今のこの国の情けなさを思うに、アイデンティティの確かな確立ほど大事なものはないなーと考える
ようになりました。
だから小さい頃から息子には、努めて貴重な文化財を自分の目で確認させるようにしています。
まぁ...私自身の楽しみもありますが(笑)


今日は敢えてこの十一面観音のお手の部分だけの写真を選びました。
ここだけ抜粋して見ても、本当に十二分に美しい。

本体は失われ、ある一部分だけ残された美術品を骨董の世界では「残欠」と言うみたい。

私は...こういったものに魅かれます。




自宅の庭のベリーの花が咲きました!
今の時期は桜を始め水仙やフリージア、木蓮などが次々と咲き始め、私たちの目を楽しませて
くれますね。
このベリーの木は秋になるとたくさんの赤い実をつけて、そのままとって食べてもおいしいし、
ジャムにもなります。
朝はたくさんの鳥たちも食べに訪れ、木の下の部分は私たち、上の部分は鳥たちに...とみなで
分け合って毎年楽しませてもらっています。


ここに家族で越してきた8年前にガーデーナー「berry」の中村さんに植えてもらいました。
今でも、毎年3回くらい庭のメンテナンスに来て頂いてます。
この樹の前にあるトネリコも幹が太くなって、夏には青々とした影をベランダに落として
日陰を作ってくれ、夕涼みの時にはゆっくりお茶も楽しめます。
蚊取り線香を焚きながら。

中村さんは奥田民生好き。いらした時は、ライブの話で盛り上がり...(笑)
それと猫もお好きなので、うちの猫たちも可愛がってもらっています。

最初にお庭の設計図を見せて頂いた時、猫のミントも描きこんであったのには笑いました!



2012年4月11日水曜日

熊本から天草まで、ドライブしたことがありました。
目的は「大江天主堂」
土地勘のない私は、熊本から2時間くらいかなぁ...なんて考えていましたが、熊本から天草って
ものすごく遠くって...。4時間以上は走った気がする。
ナビの示す通りに道を辿りましたが、もっと合理的な行き方があったかもしれないな。


もうすぐ夕方という時間帯に、やっと天主堂にたどり着きました。
白亜のロマネスク風建築。
明治時代に宣教師としてこの地を訪れたフランス人のガルニエ神父という方が、昭和8年に私財を
投じて建設され、以来、土地の人とともに天草の地に在ります。

訪れた時、天主堂の周りには誰もいなくて、本当に静か。ドアもオープンなまま。
そっと中に入ると、そこは木組みのあたたかな空間で、観光資源としてではなく、確かな祈りの場
としての「鼓動」を感じました。
私にはキリスト教の信仰はないけれど...敬虔で神聖でおごそかな、それでいて親しみやすく誰でも
受け入れてくれるような、そんな温もりのある場所に心がなごむ。

丘の上に立っている教会からは眼下に天草の海が見渡せます。
静かでのどかな祈りの空間。

こんな所に住んだら、私でも、もっと穏やかに優しくなれるかな。


2012年4月9日月曜日

滋賀県、高月町の向原寺。
かつての古刹「渡岸寺」の十一面観音は、ふくよかなお顔で身体をゆったりとひねらせ、春風駘蕩
たる雰囲気でお堂の中に立っていらっしゃいました。
井上靖や白州正子の本で読み、一度は会いに行きたいと思っていた仏像のひとつ。
京都や奈良と違い滋賀県だけを訪れる機会がなかなかなく、仕事で数年前に名古屋に立ち寄った際、
1日お休みを取って足を伸ばしてみました。

昔から土地の方達に大事に大事に守られてきた天平時代の仏像。泰澄作と伝えられます。
1573年、織田信長の小谷城攻略の時に渡岸寺は戦火で焼けましたが、この観音様は村人が土の中に
埋めてお守りしたのだとか。


だからかな。全身にそこはかとなく「愛」が漂っているようなお姿です。
でも、十一面あるお顔の内、真後ろにある暴悪大笑面はおそろしい「悪」の顔。
全ての事象には「裏に見える表」と「表に見える裏」があるということなのでしょうか。
そして森羅万象それぞれに、すべてに役割りがあるのだということ。

明日と明後日、私の会社ビザーに税務署が初めて入ります。超ブルー(涙)
昨日までコンサート初日でバタバタでしたので実感がなかったけど...。

早く解き放たれて、春風に吹かれながら、また仏像を巡る旅に出てみたいです(笑)


2012年4月8日日曜日

昨日、さいたまスーパーアリーナでツアー初日を迎えました。
2月後半から音のリハーサルに入り、徐々に形づくってきた内容。
これから秋までの長いツアー。1スタッフでありながら、どう進化していくのか楽しみです。

23歳でこの業界に入りマネージメント業務が始めたばかりの頃は、こんなに長くこの仕事に
携わるとは思ってなかった。
若い頃から結婚というものに照準を合わせてなかったから、ずっと仕事はしていくんだろうって
思ってたけど。やっぱり35歳過ぎてからかなぁ。仕事に自覚が出て肩から力が抜けたのは。


転機はやはり海外のコーディネイションを自分で始めたこと。
息子を生んでから長期間留守にする海外での仕事からは遠ざかってしまいましたが、また何らかの形でスタートさせたく思っています。
Abbey Road Studiosは何回かブックしましたが、特に印象深いのは、あの2stで弦のレコーディングをした時のこと。ここは、あえてBeatlesが使った当時の状態が残されています。

Gavin Wrightという有名なトップ・ヴァイオリンの方とのセッションで私は少し緊張気味でしたが、
彼がいきなり靴を脱いで演奏しだしたのにはビックリ!?
その弦の鳴りに、そのアグレッシブな動きに、そして何よりその高いクォリティに、今までの概念が打ち砕かれて本当にショックを受けました。
PopsやFilm Musicにおけるストリングスの位置の高さ、深い歴史を目の当たりした瞬間。
あの日が...いまのあたしになる為のターニングポイントだったかもしれないな。

Abbey Road Studiosは経営難から一時売りに出されましたが、世界中のファンからその名前を残して
欲しいという要望を受け、今はスポンサーも決まり落ち着いたようです。

St. John's Woodにある私のメモリアルプレイス。


2012年4月7日土曜日

ポーリン・ベインズ(Pauline Diana Baynes)は大好きな挿絵画家。
1922年英国ブライトン生まれ。
父親の赴任先インドで幼少期を過ごし、それが後々、彼女の絵に多大な影響を及ぼした気がします。
「指輪物語」のトルーキンに見いだされ、その後、彼の多くの作品の挿絵を手がけます。
のち、C・Sルイスの「ナルニア国物語」全7巻の挿絵も担当。
2008年に英国サリー州で85歳で亡くなりました。


私と彼女の絵との出会いはこの「ナルニア国物語」
小学3年生の夏休み、姉の本棚にあったこのシリーズをたまたま読み、以来いまに至るまで
お気に入りの本たちです。
先頃ハリウッドでシリーズが映画化されましたが、あれは私の中では全然違うもの。
原作と全く世界観が違います。
別物として観れば...まぁ、それはそれなりに楽しめますが。

だいぶ以前にBBCでもテレビ化して放映されたことがあるそうですが、これも酷評だったとか...。
ルイスの深い宗教観に裏打ちされた物語性とポーリンの絵が醸し出す一種独特の世界は、なかなか
具現化できないのでしょうね。
ナルニアの中で特に好きなのは「馬と少年」のアラビックな絵。
ポーリンの幼少期の東洋との出会いが、いかんなく発揮されている素晴らしい挿絵です。

我が家では息子のために、赤ちゃんの時に新たに全巻そろえました。
彼もナルニア・フリークになりつつあります。

こうしてDNAって受け継がれていくのね(笑)

2012年4月6日金曜日


本日、さいたまスーパーアリーナでゲネプロ(本番同様に進行する最終リハーサル)。
近くのホテルからアリーナに向かう途中、氷川神社の参道入り口に満開の桜を見つけました。
今年は遅咲きだったためタイミングがはずれ、今週末が見頃の最後ですよね。
わざわざ花を見に行けなくて残念。

明日、明後日と、せめて出動する途中に桜を愛でていきたいと思います。


一昨日が母方の祖母の命日。
私もできれば空気の冷たい清々しい、桜が満開の春のこの季節に逝きたいな。西行みたいに。

「ねがわくは花の下にて春しなんその如月の望月のころ」

折しも...今夜は美しい満月。

シーラカンス。子供の頃から大好き(笑)
デボン紀の古代魚ってフォルムが本当に魅力的!

シーラカンスは約6500万年前に絶滅したとされ、長らく現生種は確認されていませんでしたが、南アフリカで1938年に発見。
学名ラティメリア・カルムナエ(名前も素敵!)と名付けられ、この発見は世界を驚愕させました。
そして新たに1997年にインドネシアで別種が発見され、こちらは学名ラティメリア・メナドエンシスと名付けられました。
これって、つい最近のことですよね〜。
胎卵性で卵は約10cm!成魚は1mを超えるらしいけど、それにしても卵でかくない?


どんなに科学や技術が発展しても、世界には私たちが測り知れない秘密がまだまだあって、
そんなことを想うと時間がたつのも忘れます。

自分が「シーラカンス」が大好きだったって思い出させてくれたのは息子の図鑑。
子供を育てるのって、自分の子供時代を追体験することでもあるんだなぁ。
改めて「己を知ること」でもあるわけですね。

日々、貴重な経験をさせて頂いております(笑)

今日から「さいたまスーパーアリーナ」で、週末の本番に向けての会場リハーサルが始まりました。
先ほど通しリハーサルが終了し、近場のホテルにチェックインしてブログを更新中。
これからシャワーを浴びて、ゆっくりくつろごうと思っています。

この写真は、私のロンドンでの原点、Chiswick Hotel。
いろいろなホテルに泊まった中で、このホテルも(B&Bです)すごく印象深い所です。


通りをへだてた向かいに、もとPower House(火力発電所)だった建物を改造したMetropolice Studiosがあり、ここでのコーディネイトが私のイギリスでの初仕事。
当時、ソニーのアーティストのマネージメントもしていて、そのプロジェクトのレコーディングを
したのが最初でした。
PVや雑誌の撮影が立て込てこんで、真冬にいろいろな所に出かける内に、まずそのアーティストが
風邪をこじらせ、それが皆に伝染って大変なことに。
限られた時間内で物量のある仕事をこなさなければならなかったので、かなりリスキーでしたが、
その時のホテル・スタッフのスマートな対応ったら!
イギリス人のホスピタリティに、ここでグッときちゃったんだなぁ〜。
押し付けがましくなく、それでいて気が利いていて、かゆい所にすっと手が届く感じ。

もう何年も行っていませんが、スタッフの皆様はお元気かしら。
先日、ふと思いついてグーグルのストリートビューで見てみたら、以前と変わらぬままの姿が
出てきて嬉しくなりました!
懐かしく古めかしいピンクの建物。エントランスに入った時のにおいまで覚えてる。

私の名前、まだVIPリストに残っていて「あなたはお得意様だから3割引ですよ!」って言って
くれるかな(笑)

2012年4月4日水曜日

屋久島の縄文杉を訪ねたのは10年ほど前。
樹齢4000年の縄文杉に会うトレッキング・ツアーは、ガイドの方の案内でまだ陽がのぼらない
朝4時から歩き始め、以前は屋久杉の運搬に使われたトロッコのレール跡を片道約6時間かけて
歩いて向かいます。

かつての小学校跡や、伐採で生計をたてていた人々の住居の跡。
まだ人の気配がうっすらと残るそれらの場所を抜けると、あとはただ濃厚な緑の香り。
標高が高いのに湿度がある屋久島独特の気候は、ここでしか見ることのできない植物たちを
育くんでいます。
日々の喧噪や、感情や欲望。預金残高や家のローン。 
全て遠い遠い過去の話のよう...。


緑の中をただひたすら歩いていると、樹々の精霊たちにそっと見つめられている様な
そんな気がしました。

ここは...夜になるとどんな雰囲気に包まれるんだろう...。

太古の森。

昨日の嵐が吹き清めた様に今日は清々しい1日...。野分のまたの日。

息子は西荻コミュニティの仲間と、今日は高尾山に登っているらしい。
小さい時から、親から離れても物怖じしない子でしたが、一昨日、西荻に送りがてらあの街を
歩いている彼を見たら、なじんでる、なじんでる(笑)
あたかもそこに住んでいるかの様で、もしかしたら私たちとこの界隈にいるより、この子は
西荻にいる方が伸び伸びしているんじゃないかと思ったりして。
ここを引き払って、私も西荻、吉祥寺界隈にもう一度住みたい。あと青山の裏通りとか。
子供の時に居たからかなぁ。これって...帰巣本能?


その西荻の骨董店で以前買った宝石箱。
中国の物で、蓋を開けるともう鳴らないオルゴールがついていて、今は時計やら貴金属やらを
収納しています。
こういうアンティーク小物や家具が、商店街の喫茶店や本屋の隣に普通に売っている雰囲気が
好きなのかもしれませんね。

住んでいる人たちもリベラルで、なかなか魅力的。
個人主義だしね(笑)

2012年4月3日火曜日

今日は春の嵐。台風の様に雨風が強い1日です。
昨晩4時就寝だった私は10時過ぎまで起きれず(苦笑)
息子は昨日から西荻窪の別宅(笑)に春のお泊まりにでかけ、大人ばかりの家は妙に静かです。


そんな中、私の仕事用にと先日購入したアンティーク・デスクとチェアが届きました!
1920年代のイギリス製マホガニーデスク。松やにのワックスの香りも清々しい。
コンパクトな割に、引き出しの収納力があって、なかなか使い勝手が良く嬉しくなりました。

今まで使っていたアジアン家具のデスクとチェアは息子に払い下げ。
頑張ってお勉強してね(笑)

奈良に泊まる時は奈良ホテル。
いつからか心の中で決めてしまっています。
それくらい私の中では特別なホテル。
国内国外問わず仕事でありとあらゆるホテルに泊まる私は、真偽を見極める嗅覚が鋭いのだ(笑)

神社仏閣フェチの私は、一時期京都よりも歴史が深い奈良にハマってしまって、お休みが取れる度に
出向いていました。
余生はここで暮らしたいくらいに、私の中では大事な場所。
特にこの奈良ホテル界隈の高畑町は、志賀直哉旧居跡や近くに古い佇まいを残す奈良町、泊まった
ことはありませんがこれまた老舗旅館の菊水楼、若草山、東大寺、春日大社までも徒歩圏内で、
明治・大正期、戦前のノンビリとしていた昔の奈良を彷彿とさせる所です。


1階のダイニング「三笠」は、一人で泊まった時はディナーはちょっとつらいけど、朝食でなら
お一人様でもゆっくりと利用できます。前夜に予約する朝粥も絶品。
そして泊まる時はやはり旧館に宿泊して、さりげなく掛けられている大観や玉堂の絵画、創業当時のままの木の階段、窓の蝶つがい、古い窓ガラスのうねりのある輝き、優しい光を放つアンティークな照明などをゆっくりと体感されることをお勧めします!

以前、家族で泊まった時に、まだ小さかった息子への支配人の方のご配慮も素晴らしかった。
明治42年の創業。
格式ある老舗のホスピタリティが、連綿と受け継がれている。そんな場所です。

昨日は息子の行っているお教室、七田チャイルドアカデミーの主催で皇居見学に行って来ました。
一緒にお写真を撮って頂いた方は吉本笑子先生。
「花マル笑子塾」を主催されている中学受験のカリスマでいらっしゃいます。
息子は先生が大好きで(実はもっとお話したかったらしいのですが...)恥ずかしくってお話できなかったとのこと。なんだかなぁ(笑)


子供を持つ人生なんて私には無縁だと思っていた。
だから正直、子供周りの人間関係は戸惑うことばかりです。
音楽・芸能関係の社会でずっと生きてきた私は、ある意味、人がある程度見えてしまう。
とんでもないアウトサイダーから政財界のトップまで、若い頃からフラットに見る機会を
与えられてきたからかなぁ。
肩書きや社会的地位、職業では測れない人の「素」の部分が見える。
カテゴライズできる...と言った方がいいかな。
これは、ある種、不幸なことなんでしょうね。

だから、本当にステキだと思える方との出会いには心がワクワクします!
吉本先生。息子と先生のお講座に伺って、私も学ぶことの楽しさを追体験しております。
お写真を撮って頂き、又ブログに載せる許可も快く承諾して下さってありがとうございました!

2012年4月1日日曜日

「名ごりの夢」
幕末の蘭医、桂川家に生まれた今泉みねという方の昔語り。
維新前の江戸のゆるやかな雰囲気、瓦解の時の慌ただしさや悲惨さ、そして明治へ...。
時代の流れを追いながら、みねさんの周りにキラ星のごとく輝いた人々の「回想録」です。


お父様が江戸幕府最後の御典医、桂川甫周であったので、小さい子供の時から彼女のおうちには、
のちに歴史に名を残す若かりし頃の福沢諭吉、成島柳北、宇都宮三郎、神田孝平などが集まって
いました。
この昔語りには、子供の目から見たそれぞれの方との面白い逸話が残されています。
そのほか、そのころの隅田川、両国の花火、江戸時代のお芝居見物、雛まつりや初午まいり、七夕や浜遊びの想い出。彼女を育てたおば様やお身内の方のこと、そしてなにより...お父様のこと。

人々の記憶から忘れ去られた良き想い出や、優しい春の眠りの様なお話が、この本にはぎっしり
詰まっています。大好きな一冊。

平凡社、東洋文庫版。この本自体も、もはや「昔」となった昭和38年が初版です。