2015年5月31日日曜日

no.769 yummy things 2

美味しいものたち。の続き。
珍しく一人中華で五目かた焼きそば。
ちょっと人には引かれるけれど、わたし的にはお酢をドボドボかけて頂きます(笑)


これは、ある日のわたしのお昼。
永平寺のごま豆腐を頂いたので、挽肉をのせたサラダと石窯焼きのパンとともに。


ひとり旅帰りの新幹線内でのお弁当。この日は俵弁当。


月末。雨の日の銀行帰りに食べた一茶庵の田舎そば。
私はそば粉の割合が多い、ぼそぼそしたお蕎麦が割と好きなの。そば粉100%もいいな。
このお蕎麦屋さんの池のある庭で、雨が降ってるのに、子猫が4匹、遊んでいました。


これも新幹線内でのお弁当。いろいろ考えたり、読書したり、お弁当を食べたり。
今度は時間がある時に「こだま」で延々と旅してみようかなぁ。
やっと息子が手が離れたからね。もう好き放題(笑)


最後はBobby'sのチョコレートケーキ。超うすうすのアメリカンコーヒーで頂きます♡


以上、今年になってから撮りためていた美味しいものたち。でした。


no.768 yummy things

特別に記事にするほどでもないけれど、なんとなく写真に収めておいた美味しいものたち。

カレーとストロガノフのハーフ&ハーフ。でも、ただものではないのだ!
チキンカレーにはホワイトチョコを。そしてビーフストロガノフにはブラウンチョコをかけ
て頂くの〜。味は相当に濃厚。


親友のホソと食べた香港海老団子ヌードル。さっぱり。


名古屋のお土産の天むす。きゃらぶきが絶品。ホテルでひとりで頂きましたの。おっほっほ!


仙台は近藤商店の蔵王チーズ。うまっ。


写真に撮っておくと、その時に一緒にいた人や会話の内容、自分がその時にどういう精神状態だったかなんてことがそぞろに思い出されて興味深いね。


2015年5月28日木曜日

no.767 suou-ohjima

先週末は神戸公演。
なかなか大阪より西に行くことがないので、月曜日のオフを利用して前から行ってみたか
った山口県の周防大島(すおうおおじま)という所に行ってきました。
広島から山陽本線で岩国へ。そこからはレンタカーで入ります。

瀬戸内海。油をひいたように穏やかに凪いだ海には涼やかな風が吹いています。
もう真夏のようないいお天気!


宮本常一(1907〜1981)周防大島出身の民俗学者。


私がどうしても一度は周防大島を訪れたかった理由。
それはここに宮本常一の軌跡を展示した「周防大島文化交流センター」があるからなの。
岩波文庫の宮本常一著「忘れられた日本人」は、私の20年来の愛読書です。
入館料300円を払って入館すると、そこには、写真、書籍、民具、生活雑貨に囲まれたシンと
した静かな空間が広がっていました。
私が3時間以上滞在した間、入館者ひとりもなし。
おかげさまで本当にゆっくり資料を読んだり、書籍を探したり、ビデオを見たり。
聞こえてくるのはただただ打ち寄せては返す波の音だけ。なんて幸せな気分!


彼の文章がはじめて載った雑誌や。


できうる限り徒歩でまわった地球4周分の取材旅行に携帯した品々。
彼がいつも手元に置いていた本は「万葉集」と「古事記」
グールドは漱石の「草枕」と「聖書」だったんだって。
ウォホールの最後の寝室には十字架と聖母子像。
わたしは…何かなぁ。自分の手元にいつも、そして最後の瞬間に置いておきたいものって。


市井に生きる人々。とりわけ老人や子供、社会的に忘れ去られようとする弱者や儚い時代の
記憶を愛情を持って撮影し、膨大な数の写真を残した宮本の、この写真は代表作。
潮の香りや波の音、照り返す太陽のギラギラ感が写真から溢れてる。モノクロームなのにね。
撮影者である宮本の帽子をかぶった影が左下に見てとれます。
きっと微笑んで撮影したであろうこの瞬間。


周防大島は瀬戸内の海のちょうど真ん中あたりに位置し、四国や九州からも本当にすぐ。
最近の私は瀬戸内海近辺や琵琶湖の周辺になんとなく魅かれています。
京都や大阪、東京などの中央の正史に記載されていない、古い古い歴史の記憶がまだ残って
いるような気がして。


半日の滞在だったけど、とんびが舞う空はどこまでも青く広く、そして穏やかな海を渡る風
は透けるように清々しく。
自分の残りの人生はこんな場所で過ごせたらいいな、なんて心から思う。
ほんとにそのうちここに家を買っちゃうかも(笑)


うちへのお土産。
道の駅で手に入れた島で摂れた蜂蜜と海藻、そして野菜のフレークと何故か人参(笑)
息子が小さかった頃(私も幼少時代に持ってたし!)よく見た絵本の「ぐりとぐら」シリー
ズに出て来る人参にあんまりにそっくりだったので思わず購入。
このながぁい葉っぱの部分は、ぐりぐらの絵本同様、家の食卓で人参の葉っぱ入りオムレツ
となったのでした〜。

最後に夕方の瀬戸内の海のショットを。



2015年5月26日火曜日

no.766 today's my cats

今日は暑かったー!
都心は30℃超えたそうですね。真夏じゃん!?


…で今日のうちのおちびたち。
息子のベッドの上が涼しいらしく、二匹で朝はゴロゴロしてます。鳥の声がしたのかな?


だっこだっこ〜と膝の上に登ってきます。可愛い!


で、お約束の段ボール(笑)猫ってなんで箱が好きなんだろうね?


no.765 meiji-mura3

明治村の中にはたくさんの建築物が移築されていますが、中でも教会建築は圧巻。
もと京都にあった教会。


ステンドグラスも見事です。


ステンドグラスの拡大。このいろ鮮やかなシアンとグリーン。


西洋人の指導のもと、日本の職人達が造り上げた建物。
どうも私はこういったテイストのものが好きらしい。
出自が違うもの同士が融合し化学変化をもたらす。そして原型とは似ているけれど、どこか
微妙に東洋的なテイストが滲み出たもの。東の果てに立つ究極のコラボレーション。


できることなら自分の家も、西洋人が西洋的な感覚を持ったまま造り上げた日本の住まい...的
な「家」に住みたいの。

コストとセンスを鑑みると、なかなか思い通りにいかないけどねぇ(笑)
自分の終の住処は、そういうものにしたいと思う今日この頃です。


2015年5月24日日曜日

no.764 meiji-mura 2

ライトの帝国ホテルや教会、内閣府の建物など大物の建築物が多いなかで、民家などの可愛
らしい庶民の家屋も移築されています。

床屋さん。
これは石川啄木一家が結核になる前に二階に下宿していたという建物。


長野にあった診療所。山本周五郎の「赤ひげ」のお話に出てきそう。


白いカバーをかけた丸い回転椅子や小さな薬瓶がしまってある薬棚。時が止まっています。


老舗の油問屋。
一階は江戸時代。二階、三階は明治、大正で建て増ししていった建物なんだそう。
二階は非公開ですが、格子の奥にはお茶室があるんだって。
当時の豪商のお宅は贅を極めたものだったんですねぇ。


神戸にあった牛鍋屋さん。二階ではほんとうに牛鍋が食べれます。
看板の上の意匠や西洋風のデコレーションが素敵。



帝国ホテルと共に、私が最も行ってみたかった場所。夏目漱石の旧居。


帝大の先生だった漱石の前に森鴎外も住んでいた家屋です。文豪ふたりと共に生きた家。
いまはお役目を終えてここ犬山の地でゆっくりと休んでいるよう。


書斎では背中を向けて漱石の「ねこ」がお昼寝しています。


2015年5月23日土曜日

no.763 meiji-mura

名古屋からの帰り道。
打ち合わせで大阪まで出るつもりでしたが先方が名古屋まで出向いて下さり、午後にポカン
と時間が空きました。
普段はフットワークが重いのに、こういう時ダントツに動きが速くなるわたし(笑)
前から行きたかった犬山の明治村に、急きょレンタカーを借りて行って来ました。

なんて言ったってまずはこれ。
フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルのエントランス棟。


ずっと見たかったんだぁ。
あともうほんの少しで廃墟に近づきそうなこんな風情が私は好き。


内部のこの繊細な意匠。
ひとつひとつ金箔を張っています。いったいどれだけの時間がかかったんだろう?


柱とスタンドライト。古代の神殿の内部のよう。
今でももちろん最高峰のホテルではあるけれど、当時の帝国ホテルに宿泊できたのは、もう
本当に限られた人たち。
タイムマシンがあったなら、その頃の時代に戻って1日この空気の中で過ごしてみたいな。

大幅な予算オーバーと納期の遅れでホテルの経営陣との間の確執が深刻化し、結局、ライト
は竣工を待たずして解雇されてしまいます。

ペンシルバニアにある晩年の作品「落水荘/Waterfall」も、いつかこの目で見てみたいなぁ。

2015年5月17日日曜日

no.762 the weekend in nagoya

名古屋に来ています。
今回は定宿のヒルトンがいっぱいだったそうで、名古屋駅上のマリオット・アソシア。
アメリカンサイズのホテル。ひとりで泊まるにはひろ過ぎ〜(笑)


息子の学校があるので5時30分に起きるくせがついているため、何時に寝てもその時間に
何となく目が覚めちゃう。
ベッドでトロトロと微睡んでいると、カーテンの隙間から燦々と朝陽が差し込んできました。
カーテンをあけると!
すご〜いぃ。40階だからね〜。遠くに見えるのは鈴鹿?


明日はちょっと大阪に用事があるので、この眺めの良いお部屋にもう一泊です。
早めに用事が終わったら、レンタカーでいろいろ散策して美味しいもの食べて帰ろっかな。


2015年5月15日金曜日

no.761 aizu-nuri aizu-e

会津への小旅行は天気にも恵まれて、ひさびさに一人ぼっちの穏やかな旅となりました。
会津は漆器の町。
古くから会津塗りなる手法があり、江戸時代には全盛を極めたそうです。
明治時代に一時衰退しますが、近年、また見直させれてきており、一時途絶えた「会津絵」
という図柄もさかんに復刻されています。

わたしはこの「会津絵」という図柄が好きなの。
松竹梅と破魔矢を組み合わせ金を交ぜて描かれたデザインは、華やかだけど品があるから。
ほんとうは会津絵のお重がずっと欲しかったんだけど、なかなかのお値段だしお正月にしか
使わないので、いまある漆器のお重でいいかなぁ、なんて思い手を出さずにいましたが。
なんと!今回の旅で長年の夢を叶えて購入〜!大げさな(笑)


横の小さい手塩皿風の小皿は、お重を思い迷っていた数年前にとりあえず購入した会津絵の
お皿。ナッツ入れに使ってます。
このほかにも蓋付きのお椀、箸、菓子皿や箸置き、大皿など、いろいろな種類がありますが、
後々ね、揃えていこうかな。なにしろ、ほら。お高いから(笑)

購入したのは「鈴善漆器店」という老舗。天保3年の創業。


この他にも市内には何店舗か古い漆器店がありますが、鈴善さんはモダンな設らえの店内で
お品物が見やすいから好き。
この鈴善漆器店の敷地内には、蔵を改造したレストランやカフェ、ギャラリーなども併設さ
れていて、お買い物をしながらゆっくりすることもできます。
敷地内はこんな感じ。ゆったりしてていいでしょ?


もともと買おうと思って行った私は、入ってお重があるのを確認してすぐに「これ下さい!」
と八百屋さんでお茄子を買うように言ったので、お店のスタッフが辟易してたのがちょっと
面白かった(笑)
お包みするので少しお待ち頂けますか?と言われ、この中庭の見渡せるカフェで熱いお紅茶
を頂いて「少し」じゃなく「だいぶ」お待ちましましたが、そこは「会津時間」だからね。
問題な〜し!


2015年5月14日木曜日

no.760 nanuka-machi

七日町。ナヌカマチと読むの。
私の本籍は(住んだことはないけれど)会津若松市の日新町という所にあります。
日新町の隣町、七日町は前述のチイおばちゃんのおうちがあった関係で、私にとっては本籍
の日新町よりも親しみのある場所。
七日町通りという通りはかつては会津一の繁華街だった通りで、昔ながらの古い木造建築や
蔵、洋館がいまも残っていて、アンティークショップやカフェ、漆器店などが軒をつらね、
散策するのにとても楽しいところです。
もと海産物問屋の「渋川問屋」は、古い家屋をそのままに大正浪漫の香り漂う宿として女性
に大人気の宿。お食事だけもできるみたい。
チイおばちゃんのおうちがまさにここの裏なので、わたしはまだ一回も泊まったことはない
んだけど。


今回はあまり時間がなかったから、また今度ゆっくり来たいなぁ。

JR只見線の駅「七日町駅」


そして駅構内には「七日町カフェ」という落ち着いたカフェもあります。
お手頃な小さい漆器や雑貨、近郊でとれたお野菜やお花、会津でつくられたお菓子や化粧品
なども置いてあって、お土産を探すのにちょうどいいので私はよく立ち寄ります。
シフォンケーキやコーヒーも美味しいの。だから午後のお茶が飲みたくなったら迷わずここ!


今回、すごく大声でお店の人に高圧的に話す観光客のおばさんがひとり居て、めちゃくちゃ
不愉快だったので、買い物だけしてお茶は飲まずに出てきてしまいました。
どこにでもいるのねぇ。そんなひと。
「ちょっとあなた、うるさい!」って喉もとまで出懸ったけど、にこにこと優しかったチイ
おばちゃんだったら「まぁまぁ。いいじゃないの。ひとはそれぞれ、おたがいさま。」って
言うんだろうなぁ、なんて思ってようやく思いとどまりました(笑)
そのおばさん「お父さんが、お父さんが。」って言ってたからどうも結婚してるらしい。
あんなのとよく一緒に暮らせるねぇ。耳が遠くておばさんの声が気にならないか、ドMかの
どちらかだね。
ほんと旦那の顔が見たいわぁ〜。


no.759 aizu-wakamatsu

朝からレンタカーしてお線香とお花を買いに行き、菩提寺のお墓のお掃除とお参り、そして
田園風景を見ながらドライブして郊外の母方の祖父母のお墓にもお参りしたあと。
朝から何も食べていなかったのでさすがにお腹がすき、気づいたらもう遅い午後の時間にな
っていました。
そうだ!満田屋/ミツタヤの味噌田楽を食べに行こう!と思い立ち。
満田屋というお店は創業天保5年。会津市内にある元々はお味噌屋さんだったお店。
いまはお味噌やお醤油だけでなく、地元の果実を使ったジャムやジュース、お漬け物や雑貨
など、幅広い品揃えで会津の特産品を扱っています。
古い土蔵を残す昔ながらのお店。


そしてお店の奥には「囲炉裏」があって、ここでその場で食材を炙って美味しい田楽を食べ
させてくれるのです。
厚揚げ、こんにゃく、お餅、身欠き鰊、しいたけなど、それぞれに甘味噌、辛味噌、山椒味
噌などをつけて出してくれます。これが美味しいの!


今年の始めに亡くなった親戚のおばさまが、私達が会津に来る度に連れて来てくれた場所。
「チイおばちゃん」と呼ばれて皆に親しまれていたそのおばさまは、うちの母と大の仲良し
で書道の先生。
全国の大会で何度も入賞し雅号も持つ書道の大家でしたが、偉ぶったところはまったくなく、
いつもにこにこして優しい素敵な人だった。
父の一周忌にも三回忌にも、必ずお寺や食事会に付いてきてくれて、慣れないお寺さんとの
やり取りや、父方の親戚との付き合いの間を取り持って、私達を和ませてくれました。
一緒に温泉に行ったり、夏には井戸水で冷やした大きい瓜を食べさせてくれたり。
おばさまの家のお風呂の窓からは、裏の阿弥陀寺の三階だての建物が影絵のように黒々と見
えて、子供心に夜は怖かったなぁ。

ご主人が昨年末に亡くなり、後を追う様に今年の始めに亡くなりました。
いまでも優しいその人が変わらずにここ会津若松に居て、昔のように「結美ちゃん。大きく
なったね。元気だった?」ってまた言ってくれるような気がして。

満田屋の味噌田楽を頂きながら、今はもういないその人と過ごした遠い夏の日を想いました。


2015年5月12日火曜日

no.758 the roots

仙台公演からの帰り道、郡山で新幹線を降りて磐越西線に乗り換えて、会津若松へお墓参り
に行ってきました。
母の体調が悪いのと息子の受験などが重なって、ここ2年ほど会津へは行けなかった私達。
急に思い立って「お墓参りに行ってこようと思うんだけど。」という私のアイデアに、家族
全員が「あっ、いいじゃ〜ん。行ってきてよ〜。帰りにあれとこれとそれ、買ってきてね。
お墓のお掃除と親戚へのお届けもの忘れないでよ。お仏壇用に鳩居堂のお線香も買ってね。」
だそうで(苦笑)

郡山から乗り換えた磐越西線。夜の在来線。
すぐ着くのかと思ったら、快速なのになかなか時間がかかり、会津に着いたのは23時過ぎ。


そして翌朝、朝もはよから小林家のお墓参り。
融通寺という家の菩提寺は、JR会津若松駅のすぐそば。
昔ながらの大きな敷地に天保やら寛永やらの年号が刻まれた古いお墓や、ピカピカの大理石
の最新のお墓、戊辰戦争の石碑などが建ち並びます。


快晴の朝、お掃除の後、いまはここに眠る剣道をやっていた父のために、iPhoneに入っていた
息子の「白虎隊」の映像を流しました。
お線香の煙がお墓に絡み付くようにのぼり、なんだか父が笑っているようです。

そしてもう一件。真宮という郊外の場所に眠る母方の祖父母のお墓参り。
手代木(てしろぎ)という珍しい苗字の一族が住む場所。
もともとは幕末に会津藩の家老だった手代木直衛門の子孫なんだそうです。


父は高校まで会津でしたが母は東京生まれ東京育ち。
小さいときの私にとっては、夏休みで訪れるだけの遠い感覚だった会津の地。
でもここ最近の私は、磐梯山のなだらかな麓やれんげの花咲く田んぼに陽が傾いてゆくさま
など、たぶん私の祖先が見た風景と今もあまり変わらない景色を見ながら、自分の中に流れ
ている会津の血を想うことがよくあります。


no.757 sendai

ひさしぶりの北への旅。
先週末は仙台でした。やっぱり…寒い!

曇り空の下、冷えた風が吹き抜けていきます。
公演前にお散歩したときにTour Trackを見つけました!


仙台のみアンコールの曲目を変更し、あのつらく哀しい日、そして今もまだ続く悲しみへの
レクイエム「a song is born」を。
仙台の会場セキスイハイムスーパーアリーナは、あの日から何ヶ月も遺体安置所だった場所。
実際に会場に足を運んでくれたファンの方達と共に、目には見えないけど、たくさんの魂が
ここセキスイハイムに集まってくれているのを感じます。
自分もいつかは辿る道。
それはいつになるのか、どういう経路を歩むのかわからないけれど、それまではCarpe Diem、
その日その日を大事に生きなければ。

いつその時が訪れても、思い残すことの無いように。