2014年12月12日金曜日

no.716 shintaro nakaoka

Facebookを見ていたら、お知り合いの方がいま高知にいらしてて、龍馬の銅像をタイムライン
に載せているのを見つけました。
かたわらには、武市半平太と中岡慎太郎。

4年生の夏に、息子と龍馬を訪ねて京都と高知を旅したことを思い出します。
その時に中岡慎太郎の生地、北川村も訪れたんだった。


貧しい村の金銭源にと慎太郎が栽培を推奨した「ゆず」の産地。
慎太郎の生家は、代々、この土地の庄屋だったからね。
北川村は、山間の本当にのどかな村で、深い緑色をたたえた奈半利川が流れ。
やんちゃな慎太郎が皆が止めるのも聞かず、川めがけて飛び込んだという20mもの巻ノ淵という
絶壁がいまも変わらずにそそり立ち。

ここで生まれ、ここで学び、ここで遊び、ここで人となり。

派手な龍馬にくらべて、慎太郎は影の部分を受け持った感がありますが、実は維新の本当の
功労者は彼であったとも言われていて。
30歳になるかならないかで京都で命を落とす運命。

この写真はね。
かたわらには芸者さんがいたらしく、慎太郎が頬杖をついているのは実はその芸者さんの腕
だったようで、それでこの時代には珍しい自然な微笑みを浮かべた写真が撮れたらしい。


短かった彼の人生が、こころ豊かな、喜びと達成感に満ちたものであったことを。
この写真を見る度にそんなことを思います。
本気で日本という国のことを想い、命をかけて人生を駆け抜けた人たち。
この人達がいてくれたからこそ、いまの私たちがある。

そうだ。わたしも選挙に行かなくちゃ(笑)


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