2016年6月7日火曜日

no.944 sada-yacco

先日行った白壁町を始め、名古屋城から徳川美術館辺りまでのエリアは「文化の道」と名付
けられているんだそうです。名古屋、何回も何十回も行ってるのに全然知らなかった。後悔。

二葉館というこの建物は、日本の女優第一号の川上貞奴の邸宅を移築して文化の道エリアの
案内所を兼ねたシンボリックな建物です。


当時の女優さんって、すんごいお金持ちだったんだなぁ〜と感心。このエントランス。


お名前は知っていたけど、この方、一緒に洋行されて海外で人気を二分した最初のご主人の
川上音二郎を亡くされてから、福澤桃介という実業家のパートナーとなり、この御殿をお二
人のサロンとして後半生を過ごされたらしい。


福澤桃介は、福澤諭吉の娘婿。10代の頃に日本橋の名芸妓だった貞奴と恋に落ちますが、
別々の人生を歩むことになり、お互い波乱万丈の前半生を送った上での劇的な再会。
その後、公私共にパートナーとして電力関係の実業家だった桃介を支えたらしい。
ガス灯が普通だった当時、これからのエネルギー「電力」をアピールするために建てられた
名だたる豪奢な建物だったんですね。


広告塔も兼ねたこの家で、夜な夜な行われる絢爛豪華なパーティー。


そこの女主人として采配を振るえたのは希有な人生を歩んで来た貞奴だからこそ…かな。
普通のお嬢様育ちじゃ無理だったでしょうねぇ。


この洋館の奥に日常的に貞奴が暮らした日本家屋があって。
普段はそこで過ごされていたらしい。やっぱり当時の日本人、まして花街の出身だったら、
畳のこじんまりしたお部屋がいいでしょうね。


晩年の貞奴は、桃介を奥様である福澤諭吉の娘フサさんに返してあげたんだとか。
そんな歳とってから旦那を返されてもねぇ、煩わしい。と思うのはわたしだけ?(笑)
二人きりの時は最後まで初々しい恋人同士のような感じだったんだって。貞奴と桃介は。
私なんて。人のことはとやかく言えない経歴なんですが(苦笑)いろんな人を傷つけた上で
成り立つ幸せってのは本当に多いのねぇ、この世の中には。

最後にこの「二葉御殿」が遠く左上に描かれている水彩画を。


こんな長閑な田園風景が広がっていたんですね。明治の頃のここら辺りは。
夕暮れの水田の中のあぜ道を、おうちに帰るのか小学生の男の子と後ろから女の子が連れ立
って二人歩いて行きます。学生服とエプロン。可愛いな。


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