2015年6月7日日曜日

no.773 abura-hi-shrine 2

お住まいが敷地内におありになる油日神社の宮司さんは、到着のご連絡を入れると気楽な佇まいで山門で待っていてくださいました。
右手奥にある宝物館。
依頼があれば可能な限りいつでもお開けしていますよ、とおっしゃりながら、重たい宝物館の扉を開けてくださいます。

そしてまっすぐにこの面の前へ。福太夫の面。
白洲正子の「近江山河抄」を読んでから、ずっとずっと見たかった面。
やっと会うことができました。



右側は同時期に使用された翁の面。



もともとは農耕期の大切な節目の時期に村人達によって奉納の舞いが行われ、その折に使用
されたものだとか。
舞の形状も、そしてお装束も、明治初期にはすっかり途絶えてしまったとのこと。
もうかつての面影をしのぶ文書も、その時の思い出を語れる人もいなくなり。
文化というものは、敢えて残す努力をしなければ、こうして煙のように消えてしまう儚いも
のなんですね。
もう誰もその時の気配は二度と味わうことはできない。

当時のお祭りの様子。右下に獅子舞のお装束が見えるでしょう?


これがその時に使われたであろう獅子頭。表状がユーモラスでほんとに可愛い。


お獅子はふたつとも残されていましたが、古い狛犬は片方が失われてしまっていました。
ひとりぼっちで寂しそうだけど、おどけてウィンクしているようなキュートな吽形の狛犬。


「世襲というものは賛否両論ありますが…」と宮司さん。
「ひとつの家族が守ってきたからこそ、ようやっとこれらの宝物を後世に残してこれたんじゃ
ないかと思っています。お金になる価値があるからとか、目先の益にとらわれてしまう人の
手に渡ってしまったら散逸してしまったでしょう。今までも、そしてこれからも守るための
努力をしていかなければなりませんね。」

ここ油日神社の20代目にあたるという宮司さんのお言葉には、歴史を背負って生きてこられ
た方の重みを感じます。
私なんて、本当にこういう歴史のあるお家に生まれた方を羨ましいと思うけれど、なってみ
ないとわからないたくさんのご苦労がおありになるんでしょうね。


0 件のコメント:

コメントを投稿