2013年7月19日金曜日

no.495 ta-chi-ba-na 2

あー。やっと衣替え終わった...!
着るもの、着ないもの、いるもの、いらないもの、捨てるもの、人にあげるもの。
MAWAというドイツのすぐれもののハンガーを買ったので、それに衣類を掛けかえて汗だく
でした。
息子は通知表を持って帰ってきて明日から夏休み。
通知表が思いのほか好成績だったので、ちょっとご機嫌(笑)
今は姉と西荻窪の整体(肩がこるんだって〜!?)に遠路はるばる出かけ、2匹のネコもスヤ
スヤと眠っているので、うちの中は本当に静かです。

先ほどの「橘」の図案から、いろいろなことが思い出され...。
奈良、法華寺の十一面観音立像は、光明皇后の面影をうつしたとも、檀林皇后のお姿をうつ
したものであるとも言われています。
この嵯峨天皇の后、壇林皇后の出自が橘氏。
皇后になられる前のお名前は橘嘉智子(たちばなのかちこ)
絶世の美女であったと伝えられ、人格卑しからず才能豊かで類まれなる麗人だったとのこと。
仏道に深く帰依し、教育にも、施しにも尽力を尽くしたと伝えられています。


でも最もすごいのは、亡くなった後の自分の遺体を埋葬させず、街中の辻に放置させて
「この世の無情」を身をもって庶民に示したという説話があること。九相観図。
当然、美しかった遺体は徐々に傷み、犬や鳥に食べられ白骨化していきます。
風葬。...壮絶。
「人間は犬に食われるほど自由だ」と言ったのは藤原新也だったっけ。

私が法華寺を訪れたのは、もう何年も前の身が切られるように寒い真冬の午後。
畳敷きの堂内はほの暗く充分寒いはずなのに、冷たい風にさらされてきた身体には何故か
ほっとするような温もりが満ちているようでした。

源平藤橘と言われる貴族の四派のひとつ、聖武天皇に言祝がれた橘の一族は、この突出した
佳人、壇林皇后以降、日本の歴史からすっかり消え去ってしまいます。

そして、時は流れ...。
残っているのは、柔らかい面差しの美しくふくよかなこの観音像のみ。


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