2012年4月19日木曜日

法隆寺の仏像群の中で、私が最も親しんだ「百済観音」
身の丈2mもあるお背の高い仏像です。
横から見るとお身体がS字型に美しくしなっていて、つまむように水瓶(すいびょう)を持った左手と共に、それらが、今にも動き出しそうなリズムをこの仏像に与えています。
百済と銘打つからには、朝鮮半島で制作されたものなのかと思いますが、実は制作地、制作年代などわからないことがとても多い仏像なのです。


今は宝物殿に納められ大々的に展示されているかたちですが、明治時代は、うす暗い金堂の北側にひっそりと安置されていたとか。
できることなら明るい電灯の下ではなく、その頃のように、外光が少し入るうす暗がりの金堂の中で
お会いしてみたかった。
信仰の対象であるものは、やはり信仰の場において拝されるべきもの。
保存の立場から言えば、エアコンが完備され、防災対策万全な美術館は完璧でしょう。
でも「仏を尊ぶ」という見地から考えると...少し問題は違ってくるかもしれません。
人工の光の中の百済観音も十分に美しい。
でもどこかリラックスできない面映さがあるようで、なんだか可哀想な気持ちがします。

よく比較される、同じ法隆寺、夢殿の「救世観音」
こちらは長らく秘仏であった為に、今でも年2回春と秋との公開以外は、暗い夢殿の奥深くに納められています。

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